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【不法死亡訴訟】15日目:AEG顧問弁護士の証言①

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キャサリン・ジャクソン、リビー・ジャクソン、トレント・ジャクソンが法廷に訪れる。



<証人:AEG最高顧問弁護士 ショーン・トレル>
前日に引き続き




【ジャクソン側の直接尋問】



ショーン・トレルは、ケニー・オルテガが契約に基づいて仕事をしていたことを忘れていたと
陪審に話した。
彼はきのうの証言を変えると言い、オルテガがサインした契約書を付け加えた。


パニッシュ弁護士はツアーのための保険についてやりとりしたメールのいくつかを提示・


2009年1月7日 保険ブローカー、ボブ・テイラーからトレルへ:
該当アーティストに医師の診察を受けるよう求めます。
血液検査、および、尿検査を含むすべての健康診断を受けてください。
ここ5年間の診療記録の閲覧も医師が求めています。
先方の指名する医師による診察を要求しています。
検査が行われるまで疾病、あるいは、疾病による死亡の補償を制限する可能性があります。


2009年4月30日 ウリィからトレルへ:
私たちはロンドンでのもう一つの検査結果が送付されるまで
私たちにはマイケルの疾病に対する補償はありません。


2009年5月28日 トレルからテイラーへ:
私たちは本当に医師の診察を受けさせなければなりません。


2009年6月23日 トレルからテイラーへ:
利用可能な掛け捨て保険(生命保険)の最新情報は?



生命保険をかけていたら
マイケルが死亡した時に保険金を手にしていただろうとトレルは言った。
また、ツアーをキャンセルしなければならない場合に
AEGライヴの投資を取り戻すための補償の追加について
保険ブローカーと話し合いを続けていたと語った。


2009年6月24日 テイラーからトレルへ:
保険会社はこの話を進めることを拒否しました。
アーティストの健康に関して、多くのメディアが憶測しています。
このアーティストに疾病に対する補償をすることを考えるなら
彼らは医療報告を必要としています。


2009年6月25日 テイラーからゴンガウェアへ:
7月6日の午後、医師を抑えています。
でも、診察に2時間以上かかる可能性があると思っていてください。





予算と費用について。
パニッシュはAEGのリック・ウェブキングがMJエステートに宛てた
マイケルへの支払に関する最初の文書を提示。
“先方の審査のためにこの報告書を送ったように思います。
支払いを求めるような記述は認められません”
とトレルは言った。

トレルは、証言の前に、マイケルの体調について
ランディ・フィリップスとポール・ゴンガウェアと話をしたと言った。

2009年6月14日のマイケルがリハーサルに訪れることを医師が許可しなかったという
オルテガからのメールに気づかなかったとトレルは言った。


2009年6月17日 フィリップスから:
オルテガ、ゴンガウェア、ディレオ、そして彼の医師コンラッドと私は
リハーサルに来させるために、リハーサルに集中すさせるために彼に介入した。


2009年6月17日 ゴンガウェアからフィリップスのアシスタントへ:
理学療法士と栄養士が必要です。


2009年6月19日 プロダクション・マネージャーからフィリップス/ゴンガウェアへ:
ステージに立たずにマイケルを家に帰したことを知らせるようケニーに頼まれました。
彼は無気力で、彼がステージで恥をかくか
最悪怪我をさせてしまうとケニーが心配したそうです。
たった今リハーサルが行われていますが、不安は蔓延しています。


2009年6月19日 フィリップスからティム・ライウィッキーへ:
私たちは大きな問題を抱えています。



“19日の問題は、彼は認識していたと思います”とトレルは言った。
AEG幹部がマイケルに深刻な問題があったことを知っていたとトレルは認めた。

陪審に提示されたメールの中に、MJエステートのジョン・ブランカが
マイケルが死亡する5日前に送ったメールがあった。
これはマイケルの自宅で話し合いが行われたその日も送られたもの。


2009年6月20日 ジョン・ブランカからフィリップス、ゴンガウェア、ディレオ他へ:
私には、助けることができる適正なセラピスト、スピリチュアル・アドバイザー、
(薬物・アルコール)依存カウンセラーがいます。
薬物問題に関わるものがあるかわかりますか?
おそらく電話で話し合った方がいいでしょう。



トレルは、フィリップスがこのメールについて彼に話をしたことは一度もなかったという。
彼は、証言の準備をするためにフィリップスのMJの認識について
フィリップスと話したが、メールの詳細については話をしなかったと言った。


2009年6月20日 オルテガからフィリップスへ:
正直に言って、彼の変わらぬ身体的衰弱と深刻な精神状態をふまえて
彼のツアーへの準備は整っているとは思いません。


2009年6月20日 フィリップスからゴンガウェアへ:
ティムと私は明日彼に会いに行きます。
でも、どんな問題があるのかわかりません。
薬物問題ですか?それとも生理的問題ですか?


2009年6月20日 ゴンガウェアからフィリップスへ:
一緒に医師を連れて来てください。
なぜ彼はきのうの夜いなかったのですか?


2009年6月20日 フィリップスからゴンガウェアへ:
彼は精神科医ではありません。
だから彼がどれほど効果を成すかは定かではありませんが
彼をそこに行かせるのに問題はありません。


トレルは、ランディ・フィリップスは何度もリハーサルに足を運んだと言った。
フォーラムに3度、ステープルス・センターに2度。
2009年6月23日のリハーサルでは感動していたとトレルは言った。


彼はリハーサルでのマイケルの問題を知らなかったと言った。
“マイケル・ジャクソンに問題があったことを、私は全く知りませんでした”
とトレルは証言した。

リハーサル中の“骸骨のよう”に見えるマイケルを
TIIの映像に入れないようにするよう指示するフィリップスからのメールを
見たことがないとトレルは言った。





人材と素行調査についての尋問。

“私たちは請負人の素行調査はしません”とトレルは言った。
彼はTIIツアーのためのAEGの雇用に関わったと証言。
彼の部は、請負人の雇用を任されていた。
“私は素行調査をするプロセスに詳しくありません”と言った。

トレルは TIIに従事した誰にも素行調査を行わなかったと証言。
請負人に関して、トレルは従業員のような監督・監視はないと言った。


パニッシュ弁護士:
アーティストを保護、あるいは監督、素行調査をしないのですか?
トレル:
はい。安全面には気を配りますが。


トレルは、マーレイは請負人のようなものなのでAEGは彼を雇っていないと言った。



困難な財政状況にあったマーレイ医師に関してトレルは


トレル:
私は、当時まったくそのことを知りませんでした。
パニッシュ弁護士:
調査しなかったからですね?
トレル:
その通りです。




(②へ)






またも拙い訳で…汗



John BrancaもMichaelの体調が悪かったことを
知っていたのですね…




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長いので一旦ここで。









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【不法死亡訴訟】15日目:AEG顧問弁護士の証言②

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(より)



<証人:AEG最高顧問弁護士 ショーン・トレル>



パニッシュ弁護士は、マーレイの契約の下書きを含んだ
AEG幹部の中で交換されたメールを提示。
2009年6月23日に、キャシー・ジョリー弁護士は、マーレイにメールして
「締結出来る状態になっているPDF版を添付した」と書いた。
マーレイがそれに同意したらサインをして送り返すよう指示。
マーレイは契約書にサインしたが、AEGの人間のサインもジャクソンのサインも
書き加えられなかった。
トレルはは、契約のコピーはジャクソンに一度も送られなかったと証言した。

パニッシュ弁護士:
ジョディーはこれを下書きだと言っていましたか?
トレル:
いいえ、最終版だと言っていました。

“契約が締結されるまで、あらゆる書類は下書きです”
とトレルは言った。



パニッシュ弁護士:
ランディ・フィリップスがマーレイ医師をAEGが雇ったと何度もコメントしたのは
真実ではありませんか?
トレル:
彼がその発言をしたのは知っています。

2009年7月1日、フィリップスはスカイニュースのインタビューで
AEGライヴがマーレイを雇ったと言っていた。




昼休み後、パニッシュ弁護士に
NOと答えた彼の証言に変更はないかと尋ねた。


・アンシュッツの弁護士、ブルース・ブラックはロス市警とのミーティングに出席した。
・2010年1月12日(火)に警察官と会った。
・その日警察官にマーレイが月に15万ドルの報酬を受け取っていたと話した。
・マーレイの要求で、AEGに必要な医療機器と看護師を提供した。


パニッシュ弁護士:
あなたが知る限り、TIIのために書かれたすべての契約書は
AEGライヴ・プロダクションのもとで行われたのですね?
トレル:
はい。



マイケルの代理をしたデニス・ホウクが保険に関してテイラーに連絡したと言った。

パニッシュ弁護士:
2009年6月、あなたはマイケルにパーソナル・マネージャーがいたかどうかも
わからなかったのすね?
トレル:
当時そのような人間が2人いたと思います。


2009年6月2日 フィリップスからジェフへ:
ジェフ、マイケルを集中させることは世界一容易ではないことを知っておいてください。
私たちにはいまだに、弁護士も、ビジネス・マネージャーもいないのです。
悪夢だよ!


彼は、マーレイ医師を請負人として雇うために必要なマイケルのサインを見たのは
この時だけだと言った。
マーレイは3年間、マイケルの診療をしていたのを知っていたが
マイケルが何度マーレイ医師に会ったのかは知らないとトレルは言った。
“これまでマーレイ医師と話をしたことはありません。
マイケルと話をしたことは一度あります”
とトレルは言った。

AEGライヴは医師として、医師免許の確認以外のいかなるマーレイの調査を行わなかった
とトレルは言った。




2009年6月20日の夜にフィリップスからオルテガに送られた1通のメールが
陪審に提示された。
それは、オルテガに考えの撤回を迫るメールだった。


2009年6月20日 フェリップスからオルテガへ:
ケニー、これはあなたにとって、私にとって、
素人の精神科医や医師になるこのショーに関わるすべての人たちにとって重大なことです。
関わっていくにつれて私の大変な尊敬を得ているマーレイ医師としばらく話をしました。
彼は、マイケルがステージに立つために備えるのは
身体的なものだけではないと言っていました。
それを止めなければ、彼の衰弱を急がせ彼を落胆させる、と。
マーレイ医師は彼は精神的に出来ると念を押しました。
この医師は大変成功しており(私たちはすべての人の調査をしました)
この仕事をする必要がないほどなので
彼はまったく公平であり道徳的です。
(このメールの訳は自信がないのでニュアンスだけ捉えてくださいませ(。-人-。))



フィリップスのオルテガへの説明は、
素行調査をしなかったということが嘘だということなのか
パニッシュ弁護士はトレルに尋ねた。
“あなたはマーレイについて何も調査をしなかった…そう私に言いましたね?”
とトレルに尋ねると
“このメールが送られた日付においては、それは正しくないです”
とトレルは答えた。

パニッシュ弁護士:
マーレイ医師が成功していたのかそうでないのか知るための調査を
AEGの人間は誰もしていなかった。
これは本当ではないのですか?
トレル:
本当です。

マーレイの調査をしたとオルテガに説明するフィリップスに同意するのか
パニッシュ弁護士はトレルに何度か鋭く質問した。
パニッシュ弁護士はフェィリップスの発言を“まったくの嘘”と言い
それに同意するのか、それともそれがAEGのやり方なのかトレルに尋ねた。

“私はこの発言は正しくないと思います。
でも、彼がどう考え、どういう意味でそれを言ったのか
あなたがフィリップスに確認してください”
トレルは言った。


パニッシュ弁護士:
これはまったくの嘘ですよね?
トレル:
フィリップスが何を言おうとしていたのか私にはわかりません。
これは彼に質問するべきです。

パニッシュ弁護士:
彼が成功していたのか、あるいは破産に直面していたのか
あなたは知らなかったのですよね?
トレル:
知りませんでした。
この発言は正しくないと思います。
彼がどういう意味で言ったのか、フィリップスと話してください。

パニッシュ弁護士:
間違った発言をしたあなたの会社の幹部に同意しますか?
トレル:
彼が嘘だと知ってそう書いたのか、私にはわかりません。


トレルは、フィリップスがマーレイ医師の調査をした話したことはないと言った。
マーレイが公正で道徳的でこの仕事の必要性がないと
フィリップスがメールで述べたことについて
これはフィリップスの考えだとトレルは言った。

彼は、通常AEGは、フルタイムの仕事に申し込んだ人にのみ素行調査を行い
請負人には行わないと言った。
マーレイは請負人だったため、マーレイと面談したAEGの人間はいないという。






【AEG側の反対尋問】


ジェシカ・ビナ弁護士は、報告のためにMJエステートにAEGの最高財務責任者が送った
文書を提示した。
マーレイの30万ドルの報酬が含まれた、エステートに提示された見積もりについて
彼女はトレルに質問した。

彼女はなぜこれを提示したのか質問。
トレルは、これはエステートの要求だったと言った。
エステートがマイケルが死亡した時のツアーの財政状況を知ることを望んだのだと
彼は証言した。

ミーティングの目的は、マイケルの死に起因するツアーの商務を整理することだったと
トレルは言った。
“トーメが何らかの形で戻ったのが6月だったと思います。
いつなのか定かではありませんが、ディレオもいました”


ビナ弁護士:
何らかの支払いが行われたのですか?
トレル:
いいえ、支払いの要求はありませんでした。
報告のみ行われました。


ビナ弁護士は陪審に、最終的なツアーの契約書を提示した。
トレルは、契約するためにマイケルのキャロルウッドの自宅に行ったと言った。
到着すると、マイケルは立ち上がって、
“ハイ、ようこそ。僕がマイケルです”
と言ったという。
彼は非常に独特な人だったので、それは少しおかしかった、とトレルは言った。


“彼は立ち上がってこちらに来て、自己紹介をしました。
彼はとても誠実で、とてもポジティヴなエネルギーを感じ
部屋の中はいい気が流れていました。
彼は契約書のすべてのページに目を通すと言いました”

かれらはすべてにサインをし、マイケルは3Dの映像をやりたがってたと
トレルは言った。
“おそらく1時間弱だったと思います。
それが彼と会った最初で最後の時でした”


ビナ弁護士、ツアーの契約書について言及。


規約:
アーティストは各公演で80分以上の公演をするものとする。
各公演の最大時間は3時間半とする。

規約:
アーティストは、前払いされた費用を取り戻すために
主催者、あるいは製作者により提案された行程での十分な公演数を承認するものとする。


トレルは、どのようにコンサートの支払が行われるのか陪審に説明。
マイケルの場合は、ショーの利益の取り分は90対10で合意していた。
マイケルは90%を割り当てられていたとトレルは言った。
また、マイケルは5%の手数料を支払うことになっていた。

AEGライヴは主催者であり制作者だった。
“私たちはこのこのツアーに必要なぶんの費用を前払いしました”
とトレルは説明した。
火曜日、トレルは、彼の自宅を借りるのに1ヵ月10万ドル
興行権を解除する訴訟の和解のためにロンドンの裁判所に支払った300万ドルが
マイケルに前払いされたと証言していた。
(ある会社がマイケルの公演権を所有していたため)

前払い金は利益を分配する前にAEGに返済されることになっており
制作前払い金は750万ドルが上限だった。


規約:
アーティストは上限を越えた全制作費に責任を負い
プロモーターに返済しなければならない。


“マイケル・ジャクソンは非常に手の込んだ制作をすることで知られていました。
制作費というものはかなりかかる可能性があるものなのです”
とトレルは言った。
マイケルの要求なしに前もって支払いをすることはなかったとトレルは証言。


ツアーの保険規約について質問されると
それは前マネージャー、トーメ・トーメと結んだものだとトレルは言った。
トーメは月10万ドルの報酬に合意。

マイケルはトーメとともにこの契約にサインをし
この同意は1月26日に得られたとトレルは証言。
5月、トーメがこれ以上彼の仲介をしないというマイケルからの文書を受けて
“この契約におけるあらゆる支払いは行っていません”
とトレルは言った。

ビナ弁護士はトレルに、水曜日、
トーメとの合意のより詳しい詳細と契約について質問すると話した。



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深夜に放送されたヴィンセント・パターソンのドキュメンタリー。
さっき途中まで見て泣けて来て…。゚(T^T)゚。











でも、ここで泣いてるわけにはいかないの(`(エ)´)ノ_彡
すぐにテレビを消しました。





$Michael Jackson を語らせて!





すでに証言に遅れをとってるの…orz
頑張れ、自分ヾ(。`Д´。)ノ






$Michael Jackson を語らせて!
目が可愛いわ(●´ω`●)ゞ


彼だけは安らかでありますように…






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【不法死亡訴訟】16日目:AEG顧問弁護士の証言

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キャサリン・ジャクソン、リビー・ジャクソンが法廷に訪れる。



引き続き
<証人:AEG最高顧問弁護士 ショーン・トレル>




【AEG側の反対尋問】



ジェシカ・ビナ弁護士は、元マネージャーのトーメ・トーメが関係する同意について質問。
彼はマイケルに雇われていた。
ツアー中止のための保険は、トーメが解雇された後、4月末までに契約出来なかった。



トレル:
マイケルの映画への関心を追うために、AEGは100万ドルを提供しました。
彼らは3本の映画を作ろうと考えていました。

トレルは、2009年1月にサインしたマイケルの契約について質問される。
フィルム契約で、AEGが経営する映画会社のための脚本を制作するために
マイケルは100万ドルを得ただろう。

マイケルとAEGのツアー契約に加えて
双方の間には3本の映画制作を企画する同意が得られていた。
その1つは“Thriller”のビデオに関係するものだった。
しかし、契約期限の2009年6月1日までに進展が見られなかったため
AEGはマイケルの代理人に期日を延長する修正案を送付していたと
トレルは言った。

“マイケル側にはまだ関心があったと思います。
私たちは彼が成し遂げたかったものを現実化させる手助けをしたかったのだと思います”




次にビナ弁護士はツアーのキャンセル・ポリシーについて質問した。


トレル:
キャンセルに関する補償は、1公演であろうと全公演であろうと
マイケルが制作費を私たちに支払うことが義務付けられていました。
AEGには前払いをする義務がありました。
私たちは利益をカバーする保険はかけていません。
中止による損失を守るものだけです。


トレルは補償は1,750万ドルだったと言った。
保険ブローカーは当初、キャンセルに対する保険をかけることは難しいと言っていた。
ロンドンの保険会社はマイケルの健康状態についてのタブロイドの報道に懸念を示した。
マイケルが皮膚がんを患っていると報道していた。
ブローカーは懸念を軽減するために健康診断を提案した。
健康診断は2009年2月に行われた。
トレルは、守秘義務により結果を見たことはないが、
テイラー(保険ブローカー)は後にトレルに
“軽い花粉症以外、彼は見事にクリアしました”と伝えたと証言。

健康診断後、AEGは“This Is It”の公演がキャンセルになった場合
1,750万ドルを手にすることが可能になった。
マイケルは身元を隠すために“Mark Jones”と言う名前が使われた。
トレルは経験上、アーティストが偽名で保険契約がなされるのは珍しいことだと言った。
その保険はO2アリーナでの30公演を補償するものだった。

しかし、保険会社が指名した医師による2度目の健診をマイケルがロンドンで受けるまで
保険会社は疾病に関しての保証はしていなかった。

“私たちは原価および費用の差額を埋めようとしていただけです”
とトレルは証言。
2度目の健診は2009年7月6日に予定されていた。
“彼がパスしないと思う理由はありませんでした”
とトレルは言った。


2009年6月25日 ロンドン時間午前5:54、
テイラーはマーレイ医師にメールを送った。
“マスコミは、アーティストが車椅子を使用していると何度も報道しています。
マスコミは、アーティストが背中をに怪我をしている、あるいはしていたと報道しています。
マスコミは、アーティストがエリテマトーデスを患っている、あるいは患っていた
と報道しています。
マスコミは、アーティストがガンを患っている、あるいは患っていた、と報道しています。
マスコミは、アーティストは2005年に入院していたと報道しています。
美容目的の措置の簡単な詳細と日にち、および合併症の具体的な詳細を求めます”


その数時間後、マイケルはマーレイに致死量に及ぶプロポフォールを投与され死亡。


ビナ弁護士は、保険会社が挙げた懸念に、薬物や鎮痛剤、アルコール、睡眠障害は
入っていないと指摘した。

ビナ弁護士:
AEGはキャンセルに掛けた保険で利益を得ることが出来ましたか?
トレル:
いいえ、損失への補償のみです。


また、マーレイを求めたのはマイケルだったとトレルは言い、
ふたりは3年にわたりかかわりがあったと思っていたと言った。


ビナ弁護士:
家庭医がツアーに同行することに驚きましたか?
トレル:
いいえ。
アーティストがかかりつけ医を同行させたツアーは他にもありました。


2009年4月21日 ウリィからマーレイ医師へのメール:
明日、あなたに契約書を送りたいと思います。


ビナ弁護士:
ジョリーはあなたの指示でマーレイと契約交渉を始めたのですか?
トレル:
はい。


プロジェクトが終了した後、ツアーの最終的な精算をします、とトレルは言った。

ビナ弁護士は、マーレイがサインした契約書の最後のページを提示した。
その同意は、AEGライヴとGCAホールディングスとマーレイ医師の間で結ばれていた。
GCAホールディングスはマーレイの雇い主である。



トレルは、トラヴィス・ペインが証言をした時傍聴していたと言った。
2009年6月19日、マイケルがインフルエンザのような症状のように見えたと
ペインが証言していたのを憶えていた。
“みんな寒そうだったと言っていますが
当時起きていたことをはっきりと言った者は誰もいませんでした”
とトレルは言った。


6月20日、マーレイ医師、マイケル、フィリップス、オルテガでミーティングが行われた。
“まず、マイケルが自分は大丈夫だと言ったと。
次に、マーレイ医師がケニー・オルテガに懸念を引き起こしたことを叱責した。
彼がマイケルのケアをしていて、彼は元気だった。
21~22日はリハーサルは行われなかったとトレルは言った。
23日と24日は彼は元気そうに見えた、その時のリハーサルは素晴らしかった”
と言われたと、トレルは言った。


6月25日、マイケルの代理をする2人の人間がいたという。
トーメとディレオだった
最終的に、ツアーに費やした制作費をMJエステートは承認したとトレルは言った。





【ジャクソン側の再直接尋問】



パニッシュ弁護士は、トレルが証言したように
マイケルが209年1月26日に“This Is It”の契約書にサインしたとことは確かか質問した。

トレルは契約が行われた日を正しく証言したと言ったが
正確な日にちを間違った可能性があると尋問の終わりに認めた。

2009年1月26日は、トレルがマイケルに会った最初で唯一の日だったと言った。
“マイケルに会ったのは一度きりだということは確かです。
マイケルと会ったことを忘れないでしょう”
とトレルは言った。
“彼と会った時、とても感じが良かったです”

パニッシュ弁護士はトレルに、アーティストを表現するのに侮辱的な言葉を使うことは
AEGにとって適切なのかどうか尋ねた。
“マイケル・ジャクソンに関する気持ち、考え、印象は人それぞれだと思います”

パニッシュ弁護士が2009年1月28日のメールを提示したのはその時だった。
契約を結んだのはトレルが言った26日ではなく28日だったとパニッシュ弁護士は指摘した。
メールの内容はこちら





*閉廷後*

J家側

パニッシュ弁護士:
あのメールはAEGがマイケルに対し敬意を持っていなかったという例です”
彼は金を得るための、そして、Live Nationに追いつくために
彼らののコンサート・ビジネスを促進するための乗り物だった。
私たちは、あの幹部社員たちに、そして彼をあのように呼ぶ弁護士たちに
真偽を示し続けていきます。
AEGのすべてを身を持って示していきます。
これは氷山の一角なのです。


AEG側

ビナ弁護士:
あのメールはAEGに恥をかかせるためだけに提示されました。

パトナム弁護士:
裁判は4週目に入りました。
私たちにはまだひとつも実質的証拠を耳にしていません。



ショーン・トレルの証言はさらに続き、ゴンガウェアが次の証人です。
来週、カレン・フェイが証言をする予定。



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Twitter上でこのメールを知らされたKarenさんは
思わず泣き崩れたと…

前の証言後、もう証言はしないと言っていたけれど
再び召喚されるのかな。

前回の証言の続きをアップしなきゃと思いながら。






Michael Jackson を語らせて!





ブカレスト公演でステージにあげてもらった
Karenさんの娘さん♡

オイラはKarenさんの証言に
点と点が繋がるのを感じるのだけれど。





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【不法死亡訴訟】17日目:AEG顧問弁護士の証言

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キャサリン・ジャクソン、リビー・ジャクソンが法廷を訪れる。

マイケルがプレッシャーをかけられていたことについてパニッシュが尋問すると
キャサリンは感情的になった。
昼休み後、午後の法廷には戻らなかった。



<証人:AEG最高顧問弁護士 ショーン・トレル>




【ジャクソン側の直接尋問】


トレルは、2009年1月にマイケルに会った時、彼が苦しんでいる様子はなかったと言った。

今まで私が関わったツアーの数はおよそ100です、とトレルは証言。
AEGは他にも主催者兼プロデューサーとして小規模の制作にも携わったという。
“私たちはプリンスの88公演をプロデュースし、主催しました”
とトレルは言った。


パニッシュ弁護士:
あなた方が主催・制作したツアーは1つだけだというのは
本当ですか?
トレル:
はい。


パニッシュ弁護士は、プリンスのツアーはうまくいかなかったと言った。


トレルは、AEGはツアーが始まる前に医師を雇ったことはなかったと言った。
また、AEGがマーレイの契約書を作成したキャシー・ジョリー弁護士と
契約書を交わしたことをトレルは知らなかったと言った。

“マイケルが私たちに、ツアー中、自分の家族と自分のケアを彼にさせることを
求めたと記憶しています”
トレルは説明した。
“利益相反だとは思いませんでした”


パニッシュ弁護士:
AEGライヴは、自分のお金で自分の医師を雇うべきだと
言えなかったのですね?
トレル:
はい。

パニッシュ弁護士:
月15万円を失うという脅迫が
誰かに圧力をかける可能性があると思いまか?
トレル:
そうは思いません。


マーレイ医師の契約はAEGが準備したもので
マイケルの代理をする弁護士に送ったことはないという。
“3つか4つの草案があったと思います”とトレルは言った。


パニッシュ弁護士:
マーレイ医師は、その契約書にサインし
ファックスで送り返して来ましたか?
トレル:
はい、送り返して来ました。



パニッシュは、契約書の中に多くの誤りがあると言い、そのいくつかを挙げた。


パニッシュ弁護士:
このツアーの公演数は?
トレル:
同意書では31公演です。

パニッシュ弁護士:
でも、あなた方は50公演のチケットを販売したのですよね?
トレル:
アーティストの同意のもと、31公演以上と考えていました。


トレルは、50公演のためのマイケルによる承諾書はないと言った。




パニッシュはトレルに、ランディ・フィリップルがマーレイ医師と
20分間電話で話していたのを知っているか尋ねた。
“フィリップスがマーレイと話をしたのは知っていますが
そのくらい話していたかは知りませんでした”
とトレルは言った。
パニッシュ弁護士は、ランディ・フィリップスがマーレイと話をすることを
マイケルが許可したのかどうかトレルに尋ねた。

彼はそれには気づかなかったと言った。
パニッシュは、フィリップスが単独でマーレイ医師と話をするのはいいと思うか
トレルに尋ねた。
彼は、会話の内容にによるが、許可は必要ないと思うと言った。


パニッシュ弁護士:
あなたは、HIPPA(個人情報保護法)に詳しいですか?
トレル:
詳しいと思いますが、その頭文字の意味はわかりません。

パニッシュ弁護士:
患者の体調について医師が誰かに話したり話し合ったりすることは
法が認めることだと思っていませんよね?
トレル:
はい。

パニッシュ弁護士:
フィリップスがマーレイ医師を脅していたか知っていますか?
トレル:
知りません。


パニッシュ弁護士は、AEGがマーレイの給料を支払っていること、
彼に期待されているものは何か、という
2009年6月14日のゴンガウェアからのメールについて言及した。


パニッシュ弁護士:
それは彼が、どう患者を治療する必要があるかを
あなた方が給与を支払っている医師に話すための利益相反だったのですか?
トレル:
それが利益相反にあたっていたのかはわかりません。




請負人に関して、損害補償の条項は必ず契約書に必ず含まれるとトレルは言った。

パニッシュ弁護士:
企業の利益を守ることがあなたの仕事ですからね?
トレル:
はい、それは私に任されているものです。

パニッシュ弁護士:
契約書にあらゆることを記すことは
重要なことではありませんか?
トレル:
必ずしも。
書類にすべてを記すことが出来るとは思いません。


フィリップスが“私たちは全員の調査をした”と書いたように
企業の幹部が企業のすべてを知っているとは思わない、とトレルは言った。



トレルは、AEGはトーメとマネジメント契約をしたと言った。
“それは、ツアーで彼が提供するサービスに関してのトーメと私たちの間の契約で
契約に従って公演を行うためにマイケルが望むサービスへの報酬に関するものでした”
とトレルは説明した。
パニッシュ弁護士は、トーメはAEGに雇われていたのか質問した。


トレル:
彼は従業員ではありませんでした。
パニッシュ弁護士;
彼は請負人でしたか?
トレル:
彼は契約の相手でした。


このツアーに従事していた人は従業員か請負人のどちらかだとトレルが証言していたため
パニッシュ弁護士は質問に答えるよう迫った。
“私には決めかねます。彼は従業員でもなければ、請負人でもありませんでした”
とトレルは言った。
パニッシュ弁護士は、キャシー・ジョリー弁護士のトーメについてのメールを提示。
ジョリーは彼が契約する本人なのか疑問に思い、素行調査を薦めていた。


パニッシュ弁護士:
トーメの素行調査をしましたか?
トレル:
いいえ。


彼が、自分がマイケル・ジャクソンの代理をしていると言った時、
トーメが嘘をついていると思う理由はなかった、とトレルは言った。
トレルは、トーメがツアーについて何度もマイケルに電話をかけるのを見たと言った。



トレルは販売されたチケットの正確な枚数を知らないと言った。
1公演につき15,000席と推測され、50公演で約750,000枚だと思うと言った。

ランディ・フィリップスが、もしステージに立たなかったら
マイケルの家を奪うと脅したことを知っているかトレルに尋ねた。
トレルは、マイケルの資産の価値がいくらなのか知らなかったと言い
それらはツアーの担保だったことを認めた。


2009年6月20日のオルテガからフィリップスへのメール:
“医師を向かい入ること、愛のムチを持つことだと思います。
もう切り札はありません。
アーティストはこの危機にを乗り越えられないかもしれません”


パニッシュ弁護士:
マイケルは精神的に追い詰められ
診察を受けること必要としていたのですか?
トレル:
わかりません。
ケニーがなぜ、そのようなことを言ったのかわかりません。


これは、オルテガが、マイケルが見捨てられると怯えていたと言っていた
きのう提示されたメールと同じメールだった。


パニッシュ弁護士:
マイケルはプレッシャーをかけられていると思っていましたか?
トレル:
このメールは彼が怯えていたということを伝えているのであって
プレッシャーをかけられていると思っていたとは書いていません。

パニッシュ弁護士:
彼にプレッシャーをかけた人間は誰もいないのですね?
トレル:
それが私の印象です。


トレルは、AEGが3,400万ドルを失うことに圧力を感じていたとは思わないと言った。
“私たちに対して義務を負うのはマイケル・ジャクソンでしたから”




AEGの下で働くには契約が必要なのかパニッシュ弁護士は尋ねた。
“契約なくAEGに雇われる従業員はいます。雇用が内定している人たちです”
とトレルは説明した。
パニッシュ弁護士は完全な契約をせずにAEGのもとで仕事をする人について
トレルに質問した。


パニッシュ弁護士:
あなたは、給与を支払うすべての人には
完全な契約書があったと言いましたよね?
トレル:
それが私の印象です。


パニッシュ弁護士は、2009年6月25日現在に成立していなかった
すべての契約書を提出するよう求めた。
(マイケル・ビアデン、アルフレッド・ダンバー、オリアンティー・パナガリス)
交渉中の契約があることをティムがメールで伝えていた。


パニッシュ弁護士:
それぞれ、契約が成立しないまま
TIIツアーの報酬を受け取っていたのですか?
トレル:
思い出せません。




2009年6月19日 ジョン・ホウダールからランディ・フィリップスへ:
“素人の考えですが、彼には精神的にステージに立つ準備をさせる精神科医が必要であり
体調を整えるトレーニングをさせる必要があります。
ここ8週間に渡り、彼の体調が悪くなっていくのを目の当たりにしました。
彼は4月には何回転もスピンすることが出来ました。
今、彼がそれをしようとしたら転んでしまいます”
(ジョン・ホウダール=TIIステージ・マネージャー)


トレルは、このメールについてフィリップスが話したことないと言った。


パニッシュ弁護士:
ツアーを50公演に増やすことを認める書類を何か持っていますか?
トレル:
はい、私たちは口頭で許可を得ました。


パニッシュ弁護士はマイケルとの契約書と
いかなる変更も書面にする必要があるという条項を提示した。


パニッシュ弁護士:
費用が7,500万ドルを上回ことに対する
マイケルによる何らかの書類はありますか?
トレル:
ありませんん。




2009年4月14日、これ以上、トーメはもうマイケルの代理ではないという
“委任権取り消し通知”をマイケルが書いていた。
2009年5月5日、トレルはトーメに関するマイケルの要求に気づいた、と
パニッシュ弁護士は言った。

“契約書が完成するまで、契約書にある報酬は支払いません”
とトレルは言った。

2009年6月28日、トーメは、マイケルの会社を代表して
3,400万ドルの損失がMJエステートに行くことを承認する文書にサインしている。






【AEG側の再反対尋問】


ビナ弁護士:
AEGが彼に医療機器を提供したことはありますか?
トレル:
いいえ。

医療機器はロンドンでも提供されなかっただろうとトレルは言った。

要求された医療機器:
CPR装置、生理食塩水、カルーテル、注射器、車輪付き担架等。



ビアデンの契約は最終的に成立したとトレルは言った。
マイケルが死亡した時は交渉中だった。
マーレイ医師以外のどの契約も、マイケルの同意も署名も必要としなかったと
トレルは言った。


ビナ弁護士:
いつマイケルと契約をしたのですか?
トレル:
2009年1月28日です。


マイケルとマーレイ医師の間で契約について話したのかは知らないと言い、
マイケルがそれにいつサインをするつもりだったのかわからないと言った。


エステートに送り、トーメによる承認を得た費用報告に関しては
フランク・ディレオもそれにサインをしたとトレルは言った。
2009年3月からマイケルが死亡するまで、彼がマイケルのマネージャーだったという
ディレオからの文書をビナ弁護士は提示した。
“彼の専属医としてマーレイの手を借り続けることをAEGに求めたもはマイケルです”
ディレオはマイケルのマネージャーのような役目もしていたとトレルは言った。


マーレイに関して、3当事者が関わる利益は同じであり
トレルは利益相反があったとは思わないと言った。
“矛盾はありませんでした。
契約が整っても、実質的にマーレイ医師を雇うのはマイケルでした。
私たちのお金を使って”
とトレルは言った。

ビナ弁護士は、、ヘアメイク・アーティストのような
個人的なサービスをした人たちの管理をしていないというトレルの宣誓証言を流した。
トレルは、自分の仕事は、ステージで目にするものを管理することだと言った。


ホウダールのメールについて、それは薬物の乱用に言及したものだったのか質問。
トレルは否定した。
メールは、マイケルの精神的な部分を整えることと
体調のためにトレーナーを得ることは必要だというものだとトレルは言った。



トレルは、個人保護法は患者を守るためのもので
それ以上の知識はないと言った。


ビナ弁護士:
フィリップスがマーレイ医師とマイケルの治療について
話し合ったと言ったことはありますか?
トレル:
いいえ。

ビナ弁護士:
マイケルは痩せすぎで死亡したのだと思いますか?
トレル:
いいえ。

ビナ弁護士:
マイケルは病気で死亡したのだと思いますか?
トレル:
いいえ。


AEGがマイケルに投与された薬代を支払ったり
医療機器を提供したことは一度もないとトレルは言った。


ビナ弁護士:
マイケルの死因は何だと思いますか?
トレル:
寝室でマーレイに投与されたプロポフォールによる中毒だと思います。





【ジャクソン側による再々直接尋問


パニッシュ弁護士:
マイケルの死後、AEGがフランク・ディレオに500万ドルを支払ったのを知っていますか?
トレル:
いいえ。


“そのような支払いの承認に関わった記憶はありません”
とトレルは証言。


パニッシュ弁護士は、2009年10月13日に
ショーン・トレルからリック・ウェブキングへ送られた
“500万ドルを認める”というディレオの報酬の改訂に関するメールを提示した。

映画のために動かなくてはならないフランクに5万ドルを支払ったとトレルは言った。
それは500万ドルから支出されたのであって
“フランクに500万ドル支払ったというわけではない”と言った。


TIIツアーの費用の承認について


パニッシュ弁護士:
マイケルが死亡する前にサインを得られなかったのですよね?
トレル:
そうです。

パニッシュ弁護士:
あなたは契約を満たす立場にいました。
ディレオとトーメはマイケルの死亡後にサインをした。
イエスですか?ノーですか?
トレル:
イエス、です。


トレルは、マーレイにかかった費用は
ディレオとトーメが承認した費用に含まれていたと言った。


“トーメへの支払は認められませんでした。
映画に関わるものでのディレオへの5万ドルの支払のみ認められました”
とトレルは言った。


“言うまでもなく、マイケル・ジャクソンはマイケルのツアーにとって重要でした。
これは彼のショーです。彼のショーなのです。
このショーにおいて、彼が最も重要な人物でした”
とトレルは言った。




火曜日は、ポール・ゴンガウェアが証言台に立つ予定。




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ステージ・マネージャーもMichaelの体調の悪さに気づいていた…
それに気づいた彼らの誰もがAEGと契約をしていた。


“Michael's company”
って記事に度々出てくるんだけれど
当時それが機能していたとは到底思えない。







$Michael Jackson を語らせて!-attachment00.jpg
彼だけは安らかでありますように…







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The snake barn

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$Michael Jackson を語らせて!




マイケルのネバーランドの画像をググってたら
初めてみるこの写真を見つけた。


この大きな納屋は、蛇小屋(snake barn)と呼ばれるものに一部改造されていました。
(サーペンタリウムと書かれている地図もありますが、私いつも蛇小屋と呼んでいました)

蛇小屋にはクールな“サプライズ”がたくさんありましたが
私が気に入っていたのは、私の家の前庭つくった音響効果でした。


蛇小屋の中に入ると両サイドにとても大きなディスプレイが約12個あり
色々な種類の蛇が飼育されていました。
照明がかなり暗かったので、みんな蛇に視線を集中させていました。

蛇を説明するナレーションがあったので
より効果を高めるためにコオロギの泣き声を何層にも重ねました。


8分ごとに、あらかじめ録音しておいたカサカサという草の音が
小屋の中を横切るように走りぬけていくんです。
床に這わせたスピーカーを通して、後ろから前に。

その音がとても速くて、みんな考える余裕もない。
(自宅の前のアイビーの間を大きなアイスボックスを引きずって録音しました)


足もと這っている大きな蛇の音だと思っている人たちのリアクションは
とてもおもしろかった!

マイケルはそのアイデアが大好きで
私たちが仕掛けた錯覚にビックリして飛び上がる人を見て大笑いしていました。


私たちはネバーランドのいろいろなところに音を仕掛けていましたが
蛇小屋をつくるのは、本当に楽しかった。


-Brad Sundberg







あの赤い小屋が蛇小屋だったとは(笑)





Michael Jackson を語らせて!
Her name is Madonna♡



Michael Jackson を語らせて!







月曜日は裁判から離れられる日なんだ。


Happy Michael Monday!!





4回目の命日まで1ヵ月を切りました。
ネバーランドに足を運ばれる方もいらっしゃるのかな?





$Michael Jackson を語らせて!






行きたいな…ネバーランド。














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Brad Sundberg:Michaelとの仕事について語る Part.1

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きのうの“蛇小屋”のエピソードをシェアしてくれた
“Really Really Brad”ことブラッド・サンドバーグ。





$Michael Jackson を語らせて!





彼のインタビューをこの機会に☆
危うくお蔵入りしそうだったので^^;
(だのに長文)
蛇小屋に救出された記事をどうぞ(笑)





*******************





-マイケルのアルバムでのあなたが務めたテクニカル・ディレクターの仕事とは
いったいどういうものなのでしょう?

簡単な答えと、そうじゃない答えがあります。
簡単に言えば“あらゆる準備をする”ことです。
詳しく言うとこんな感じでしょうか。
私の責任は、世界中のどの場所でもマイケル・ジャクソンにふさわしい
スタジオを用意することでした。
私はブルース・エウェディエンとよく仕事をしました(マイケルのアルバムだけではなく)。
彼は誰よりも、マイク、パッチコード、機材など細かいところに注意を払う人で、
スタジオの機材をテストして完璧に調整しなければなりませんでした。
プロジェクトを開始する前のこのプロセスに1~2週間かかることも珍しくありませんでした。
おもしろいことに、これをする制作チームはほんのわずかだということです。
でも、それが私たちの作品がとてもよく聴こえる極めて重要な理由です。


また、マイクやヘッドフォンのセッティング、スタジオの予約
テープの整理、マイケルのボーカル録りのためのお湯の用意、
ライナーノートのためのマイケルの歌詞の書き取り、コーヒーを作ったり!
私は毎日のようにレコーディング作業に携わりました。
同じプロジェクトに取り組む様々な制作チームと一緒に、長く充実した時間になりました。
その激務と奉仕は、大変の音楽界の歴史にの一部になること、
そしてその歴史を目撃することを私に与えてくれました。





-キャプテンEOの頃にマイケルのチームと仕事をする前
あなたはマイケルのファンだったのですか?

70年代、カリフォルニア・サンタクルスで子ども時代を過ごし
たくさんの音楽を聴きました。
ピンク・フロイド、スティーリー・ダン、レッド・ツェッペリン、ヴァン・ヘイレン…
アバ、ビージーズ、グロリア・ゲイナー、ブロンディー、ドナ・サマーのような
ダンス・ミュージックも大好きでした…、もちろんマイケル・ジャクソンもね。
そういう音楽を聴いているとき、自分が音楽を“解剖”している自分に気づいたんです。
ずべてのサウンド、すべてのリバーブ、エフェクトを知りたかったんです。
擦り切れるまで“Thriller”を聴いたので買い足しました。
その音の厚みには圧巻でした。
そうですね、私はいちファンでした。





-マイケルの曲でお気に入りの3曲と、その理由を教えてください。

難しいけど…

まずはHuman Nature。
この曲はずっと大好きです。
それを引き継ぐ“Someone Put Your Hand Out”という曲をレコーディングしたけど
アルバム“Dangerous”には収録されなかったんだけれどね。

それから、Smooth Criminal。
ベースライン、グルーヴ、デイビッド・ウイリアムスのクレイジーなリズム・ギター、
ジェリー・ヘイのホーン・セクション、このミュージシャンたちをまとめるクインシー、
そしてマイケルが真ん中にいて…
これは驚くべき作品だよ!

それと、Lady In My Life。
シングルにはならなかったけど、素晴らしい曲だよ。
技術的な観点から言うと、これは5分間のレコーディング教室のようなもの。
すべてのサウンドが新鮮でシンプル。
音楽的な観点から言うと、僕はロッド・テンパートンの大ファンなんだ。


3曲って言われたけど…Streetwalkerも。
聴くたびにその曲に圧倒されたよ。
でも、クインシーはその曲が好きじゃなかった。
マイケルがリードボーカルを録音した後、
夜、車の中でそれを聴きながら家に帰った。
夜中の3時にサンルーフを開けてね。
声の限りに歌っていたものだから、スピーカーを吹っ飛ばすところだったよ。
それは最高の曲ではないかもしれないけど、あのグルーブにつかまれたら離れられなくなる。

Will You Be There, Who Is It, Earth Song, Stranger In Moscow,
Billie Jean, Startin’ Something, She’s Out Of My Life, Jamも
あげなくちゃフェアじゃないな。
僕はルールを守るのがずっと苦手だった...(笑)





-マイケルにネバーランドの隅々まで音楽が聴こえるように任されたそうですね。
ネバーランドではどんな音楽が流れていたのですか?

あまり明かしたくないのだけれど
ネバーランドには破ることができないルールがありました。
マイケルは自分の曲を流すことを許さなかった。
意見したけど、彼がボスだったから彼の意見には勝てませんでした。

敷地内には(湖のまわり、メインハウス、ゲストハウス等)
クラッシックやディズニーのお気に入りの曲が流されていました。
遊園地で流す曲に、彼はジャネットやイエスやジョー・サトリアーニの曲を選びました。
ヴァン・ヘイレンやレッド・ツェッペリンも曲もある乗り物で流されていました。
遊園地の向こう側にあるホース・エリアや動物園では
昔からのカウボーイ・ミュージックを流すことにしました。
列車でも主にクラッシック音楽が流れていました。





-スタジオでマイケルと取り組んだ全ての曲の中で一番好きな曲は何ですか?
あるいは、デモから完成まで、クリエイティヴなプロセスのある曲は何ですか?

たくさんあるので難しい質問ですね。
Man In The Mirrorにしようと思います。
私はまだスタジオの様子を学んでいて
アルバムBadに携り、学び、スタジオで見ているよう依頼されたことは
光栄なことでした。
Man in the Mirrorは大ヒットして、こんなにも成功を収めた作品になりました。
私たちはそれを止められないことをわかっていました。
その曲が録音されるのを目にすることが出来ました。
才能を持つミュージシャンだち、アンドレ・コーチ聖歌隊の歌声、
そしてマイケルとサイーダの素晴しいボーカルを目にすることが出来ました。
あの時、ウエストレイクDスタジオには、本当にたくさんの才能で溢れていました。
衝撃的でした。
ブルースとマイケルはフルで…フルボリュームで
ステジオに立ち寄ったお客さんのためにMan in the Mirrorをかけました。
最後の音が聴こえなくなるまでみんな黙って、時に涙を流していました。






$Michael Jackson を語らせて!





-デモを作る過程を教えていただけませんか?

私たちがキーボード奏者兼プログラマーを呼んで
マイケルが私たちにグルーブやリズム・トラックを歌いました。
プログラマーがマイケルのリクエストをドラム・マシーンに置き換え
ベースとメロディラインが付け加えられました。
大抵、私たちがボーカル・スクラッチとコーラスを参考のために録音しました。
そのプロセスに3~4時間かかり、そして曲が生まれました。
それはまさに共同作業で、たくさんのアイデアが認められて録音されました。
すべてのアイデアが起用されたわけではありませんが
そのアイデアを試したり検討したり、みんな本当に努力しました。





-マイケル・ジャクソンのアルバムの製作チームに携わって
最も大変だったことは何ですか?

睡眠!!
大抵私はみんなが来る2時間前から
そしてみんなが帰った2~3時間後までスタジオにいました。
朝9~10時にスタジオに入るのが日課で、夜中の2時までかかることも度々。
私はスタジオから40分くらいの場所に住んでいました。
数日ならまだいいけど、10~14ヶ月それをやってみてよ。
でも、正直仕事に行くのは大好きだった。
スタジオに入ればチームとの仕事は素晴らしかった。
美味しい食事、きれいなスタジオ、素晴らしい音楽、驚くべき才能…
いろいろ不満を言うことなんてなかったよ。





-マイケルと仕事をしてきた中で、どのプロジェクトが最も印象に残っていますか?

Dangerousです。
私にとって、それは過渡期でした。
BSUN Media Systemsの仕事をしながらスタジオでも仕事をしました。
クインシーはそのプロジェクトに関わっておらず変な感じがしました。
音楽業界も大衆音楽も変化していました。
だからマイケルはそのプロジェクトに3つの制作チームを使ったんです。

技術面において、私たちはより多くの曲を作り、より多くのスタジオを使い
よりたくさんのミックスを作るなど、あらゆる常識を壊しながら作りました。
Jamは4つのテープレコーダーで約160曲。
同時に2つのスタジオの2つのコンソールでミックスしなくてはいけなかった。
馬鹿げたことだけど、私たちはそれをやったんだ。
どんなことでもトライすることを恐れないこと、
いつでも完璧を追い求めること(スタジオ以外でも)という意味で
その経験は私のキャリアに影響を与えたんじゃないかな。





-アルバムBadからBlood on the Dance Floorまでの制作の中で
マイケルはどのように成熟し、どのように変わりましたか?
彼はどのように進歩したのでしょう?

Captain EOの頃、私より5才年上でしたが彼はまだ子どものようでした。
彼のユーモア、 彼への信頼、優秀であるべく全力を尽くす姿勢、
パフォーマンスや制作への情熱は変わることも減ることもなく
どちらかと言えば、年齢とともに開花しました。
最後の方のアルバムで、彼は様々な曲やサウンドを試すようになりました。
MorphineやGhostsのような。
より暗いテーマだけれど、素晴らしいグルーヴでした。





-マイケルはアルバムの選曲をどのようにしていたのですか?
どのように、そしてなぜ私たちが知っている曲が選ばれ、
どのように、なぜ他の曲が選ばれなかったのか知っていますか?
例えば、ほぼ完成していたのにアルバムに収録されずにいた曲は?

アルバムを制作するとき、いつも彼は
オフィス兼ホールのイーゼルにコルクボードを置いていました。
すべての曲のタイトルがインデックスカードに書かれていて
画びょうでボードに候補順に留められていました。
新しいものや、新に録音した曲が加わると、それはあちこちに動き回る。
だいたい、クインシー、マイケル、ブルースがこれを扱っていました。
15曲程度に絞られると、そのボードはアルバムのソング・オーダーのために
さらに使われました。

ほとんど出来上がっていた曲はというと
私が個人的に好きなStreetwalkerやSomeone Put Your Hand Outや
Monkey Businessでした。





-今日まで発表されていないでいるマイケルの曲を憶えていますか?
もし憶えているなら、どの曲が好きですか?
未発表曲について少し教えていただけませんか?

ごめんなさい…
たくさんの曲があるのを知っているけどその質問はパスします。





-マイケルはスタジオでの調整作業は得意でしたか?

マイケルはまったく技術的なことはしませんでした。
まったく、ね!
時々フェーダー押したかもしれないけれど
イコライザーやリバーブ装置の調整をすることはなかった。
そうは言っても、スタジオは彼にとってとても居心地のいい場所だったと思います。
家にいるような。
とても安全で、仕事をし、笑い、ありのままの彼になれる場所でした。





$Michael Jackson を語らせて!





*******************




スタジオでマンミラを…ってとこで
去年のLAツアーでスタジオを訪れたときのことを想い
胸がキュンとなっちゃったなー・°・(ノД`)・°・
マンミラかけてくれて号泣したっけ…(鼻すする音が…orz)













長くなった&家事タイムとなったのでPart.2に続きますo(_ _*)o
しばしお待ちを。。








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Brad Sundberg:Michaelとの仕事について語る Part.2

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(Part.1より)






-マイケルが演奏することが出来た楽器はどれくらいありますか?
それはどんな楽器で、彼は上手でしたか?正直に。

彼はキーボードでメロディを弾くことは出来ました。
でも、腕前はそれほどでもなかったな。
私と仕事をする前、彼は“Don’t Stop”で瓶を叩いていたけど。
マイケルの楽器は彼の声でした…
私たちは何でも扱うというたくさんの才能の集まりだったよ。






$Michael Jackson を語らせて!





-マイケルのツアーの準備は?

ツアーの準備はアルバムがリリースされた後にしました。
バンドはリハーサルをしました。
基本的に私たちはマイケルが歌いやすく、またパフォームしやすく
曲を作り替えなければなりませんでした。





-“Keep the Faith”について教えてください。
オリジナル・バージョンを破棄して、どうして一晩のセッションで
新たなバージョンに録音しなおさなければならなかったのでしょう?

申し訳ないけどパスしなくちゃいけない。
これは今度の講演で話すことだから。
あんまり教えてあげられないんだ。





-マイケルとの仕事をする中で個人的な想い出を聴きたいのですが。

彼は非常に好奇心が強く、私の娘たちのことを可愛がってくれました。
よちよち歩きだった娘のアマンダを妻のデビーがスタジオに連れて来たので
(Dangerousの頃)私たちは時々顔を合せました。
マイケルは床の上のブランケットの上でおもちゃや人形で遊んでいる
アマンダといました。
彼は“小さな自分だけの世界に入ってるよね?”と言いました。

別の時のことですが、私たちはネバーランドに列車を届けました。
私は列車に立派な音楽システムを備えつけました。
マイケルは初めてそれを見たとき大喜びしていました。
私たちがそれを作動させると笑っていました。
その日、デビーとアマンダもネバーランドにいて
列車をネバーランドを一周させている間、彼はアマンダの手を握っていました。
彼はずっと笑っていました。





$Michael Jackson を語らせて!




-(アーティストとしてではなく一人の人間としての)マイケルとの想い出は?

Make-A-Wish Foundationです。
ネバーランドがゲストを迎える準備ができると
私たちはマイケルと過ごすことを望む世界中からのゲストを目にし始めました。
Make-A-Wishの活動の一部として、たくさんの小さなゲストたちがやって来ました。
彼らは重い病気にかかっていました。
マイケルはネバーランドを案内たり、キリンに触れさせたり、観覧車に乗せたり
多くの人が進んでやること以上のことをしていました。
これが彼らの最後の願いだから、彼は叶えてあげていたのです。
彼らの表情、感謝する保護者の姿を憶えています。
彼らの未来には大きな悲しみがあることを知っていました。
マイケルは自分の時間をプレゼントしていたのです。
それは大きなギフトでした。






$Michael Jackson を語らせて!





-マイケルはあなたにいたずらをしたことはありますか?
話していただける面白い話はありますか?

いたずらではないのだけど、面白い想い出があります。
私にはダンスのスキルはまったくありませんがダンス・ミュージックは大好きです。
The Way You Make Me Feel, Jam, Bad,
Streetwalkerのような曲の制作に携わることは私たちにはありふれたことで
私はビートに合わせて首を上下に動かしていました。
マイケルは“ブラッドがノッてるよ!”と言いながら大爆笑するんです。
抑えきれなかったんです…曲が強烈で!
彼が私のことを“Really Really Brad”と呼び始めた理由のひとつがこれでした。
彼にからかわれるのは大好きでした。
彼はとても優しくて屈託のない人だったから。





-自叙伝で
“自分が目にしたちょっとした親切なふるまいを
何ページもなんページも書くことが出来ました”と書いていますよね。
いくつか憶えていますか?
そのような話を聞くと、いつもファンの心が温まります。

ネバーランドにMake-A-Wishからのゲストが訪れたことを話したけれど
彼の友人やファンはスタジオにもやって来ました。
HIStoryの制作中、NYのスタジオの外にファンたちが集まっていて
彼は彼らを中に通したりサインをしたりしました。
NYで子ども達のコーラスを録音している時、彼は私にサンタの格好をさせ
子ども達にクリスマスプレゼントを贈りました。(⇒過去記事)
私たちのアシスタントの一人が大手術をすることになった時
彼の厚意でスタジオで盛大なファミリー・ディナーを開き
マイケルはたくさんの映画や贈り物をプレゼントしました。
でも、彼は個人的にこういうことをしていたのです。
だからより一層意味のあるものになりました。





$Michael Jackson を語らせて!




-年月を越えて、マイケルはどのように変わりましたか?

私は彼の親友ではないけれど、信頼されていた友人だったと思いたいです。
彼と一緒に過ごしていた中で、彼の性格や
音楽や映画、ファンタジー、建築物、絵、ゲーム、大自然への子どものような愛に
どんな変化も目にしたことはありませんでした。
彼が私にハグせずにスタジオに入って来たり
ハグせずにRadio City Music Hallあるいはネバーランドで会った彼を
一度たりとも思い出せません。
私が知っているマイケルは変わりませんでした。
みんなが変わったと言ってもね。





-何があなたをファンにマイケルとの仕事での思い出を
シェアしようという気にさせたのですか?

マイケルが亡くなった後
マイケルと仕事をすることがどんなにクレイジーだったかという記事を読みました。
チンパンジー、エレファントマンの骨、蛇とかそういったことをね。
それを書いた人のことを私は知りません。
彼がスタジオやネバーランドにいたことがあるのかも知りません。
そういうものはいつでも情報元が不明で、タブロイドが流したものでした。
裏付けなしに書きたいことをなんでも書き言いたいことを言って
金儲けをしたがる人たちやメディアにうんざりしました。
マイケルと過ごした日々についていくつか記事を書きましたが
それに関心持ってもらえました。

パリでファンのグループが私に近づいてきて
講演を企画してくれないかと言われました。
スタジオやネバーランドでの日々を思い返しました。
本を書き始めてたのですが
近年で唯一無二のエンターテイナーの一人と働くことがどういうものだったのか
記録に残したいのです。
なんの思惑もなく、腹黒い動機もありません。
ただとても尊敬し、友人でもある人を紹介するものです。
それはファンのためになるかもしれないし
私の子ども達のためになるかもしれません。
そしてマイケルの子ども達のためになるかもしれません。
その場所にいることがどういうものなのか、
そして、あのような素晴らしい旅に関わることだどういうものなのか
彼らに知ってほしいのです。





$Michael Jackson を語らせて!
ブラッド、ブラッドの奥さん、娘さん、ブルースとマイケル(ヒゲっぽく見える?)




-ファンに何か言いたいことはありますか?

マイケルは本当にファンを愛していました。
彼が生まれ持ってきた才能に取って替わるムービー、公演、
トリビュート・ショーは存在しません。
私は、彼と知り合うことが出来て光栄でした。
スタジオで回転ムーンウォークの練習をする彼、セスと音階を歌う彼、
大歓声をあげる10万人ものファンを前にしたステージから見た
彼の記憶を大切にしていきます。
私の向かい側に座っているかのように、彼の笑い声が聴こえます。
彼はプロフェッショナルであり、完璧主義者であり、エンターテイナーであり
歌手であり、ダンサーであり、父親であり、友人でした。
彼のことが恋しいです。
それは皆さんも同じでしょう。
想い出をシェアさせてくれてありがとうございます。





**************************************





ああ…この記事をお蔵入りさせなくてよかったわ・°・(ノД`)・°・
ありがとう、蛇小屋!!

みんなの大好きなMichaelの姿が
このインタビューの中にいっぱい詰まってたね。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
講演会が終わったら、また新たなお話が聞けるかもね。

愛たいなぁ…




$Michael Jackson を語らせて!







さぁ、また裁判が始まるね。



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【不法死亡訴訟】18日目:AEGライヴCEOの証言

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キャサリン・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、
リビー・ジャクソン、ランディ・ジャクソンが法廷に訪れる。
兄弟たちは証人リストに名前が挙がっているため、一人しか法廷に入れない。
午前中はジャネット、午後はリビーがキャサリンに同行。



<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>



【ジャクソン側による直接尋問】



ポール・ゴンガウェアはこの訴訟の被告人の一人。
彼は敵意ある証人として原告に召喚された。
彼はAEGライヴに属するConcerts Westの共同最高経営責任者である。
ゴンガウェアは、ビーチ・ボーイズ、レッド・ツェッペリン、
今はローRング・ストーンズのツアーに携わっている。

AEGライヴの会長であり最高経営責任者のランディ・フィリップスへの2008年のメールで
ゴンガウェアは復帰コンサートについて
マイケルと彼のマネージャーにどうアプローチするか説明していた。



ゴンガウェアはエルヴィス・プレスリーのツアーに携わったと言った。
エリヴィスが薬物の過剰摂取で死亡したのかパニッシュ弁護士が尋ねると
ゴンンガウェアは“はい”と答えた。

2009年7月5日のゴンガウェアは友人からの弔慰のメールに返信をした。
“エルヴィスが死んだとき、私は彼のツアーに携わっていました。
だから、私は何が起きるのか少しわかっていました”
と、マイケルの死の2週間後にゴンガウェアはメールしていた。
“まだ本当にショックです”

“では、マイケル・ジャクソンが死亡したらどうなるのかわかっていたのですね?”
パニッシュ・弁護士は尋ねた。

“はい。何が起きるのか少しわかっていました”
ゴンガウェアは 答えた。


パニッシュ弁護士はConcerts Westについて質問をした。
ジャクソン5のために働いていた頃はゴンガウェアとマイケルとのやりとりはなく
1992~1993年のDangerousツアーに携わった。
マイケルがDangerousツアーでの100万ドル利益をチャリティに寄付したと
パニッシュ弁護士が話したが、ゴンガウェアは“知らない”と答えた。


ゴンガウェアはラスベガスで
カーネル・パーカー(エルヴィスのマネージャー)といるマイケルと会った。


ゴンガウェアはツアー・マネージャーになることと
ツアーのマネージングをすることの違いを説明した。
彼はHIStoryツアーについて話をした。


パニッシュ弁護士:
Dangerousツアーの時
マイケルがリハビリ施設にいたのを知っていましたか?

ゴンガウェア:
はい、ツアーの後、彼が発表した声明で。


Dangerousツアー中、医師がマイケルに投薬していたことを知っていたが
なぜツアーが中止されたのかわからず
後のマイケルの声明で初めて何が起きていたのかを知ったと話した。
しかし、ゴンガウェアはロス市警に
マイケルが以前鎮痛剤などの薬を摂取していたことを知っていたので
関わりたくなかったと話していた。

フィンケルシュタイン医師が、ゴンガウェアはDangerousツアーが終わる前に
マイケルが鎮痛剤に問題を抱えていたことを知っていたと宣誓証言していたと話した。


パニッシュ弁護士:
それに異論はありますか?

ゴンガウェア:
彼が痛みを抱えていたことは知っていました。


ゴンガウェアはフィンケルシュタイン医師は自身の医師であり友人であり
時々話をするが、医師の宣誓証言の詳細は知らないと言った。

フィンケルシュタイン医師は、マイケルが頭皮の手術を受けた後
バンコクでの公演後、彼に鎮痛剤を投与したと話している。

ゴンガウェアの宣誓証言の映像では
フランケンシュタイン医師にDangrousツアー中
マイケルの治療をしていたか尋ねたことはあるか質問され
“彼はそのようなことはしていませんでした”
と答えていたが、そのビデオの別のシーンでは
“彼は‘はい’と言いました。
彼はDangerousツアーでマイケルの治療をしたことがありました”
と話していた。




パニッシュ弁護士:
あなたはいつでもマケルに誠実に対応していましたか?

ゴンガウェア:
そうだったと思います。

パニッシュ医師:
あなたはマイケル・ジャクソンを騙したことはありますか?

ゴンガウェア:
マイケルを騙そうとしたことはありません。


パニッシュ弁護士は再三に渡り、ゴンガウェアの記憶について質問することで
矛盾する証言を引き出した。

マイケルはBadツアーで、一公演につき75,000枚のチケットを
10のスタジアムで完売させた。


パニッシュ弁護士:
それはかなりも数でしたか?

ゴンガウェア:
膨大な数でした。

パニッシュ弁護士:
2時間で何枚チケットが売れたのですか?

ゴンガウェア:
最初のプレセールで31公演を販売しました。

パニッシュ弁護士:
それまでで最も早く売れたのですか?

ゴンガウェア:
はい。



“どれほどマイキーと公演ができるのか誰にもわかりませんでした”
ゴンガウェアは言った。
パニッシュ弁護士は“マイキー”という名前について尋ねた。
彼は時々そう言っていたと言った。



2009年2月27日 ゴンガウェアからフィリップスへのメール:
“すべてのリスクを抱えているのは私たちだ。
マイケルが認めなくても、私たちはやる。
金を稼ぐということは費用がかかるということをマイキーに知らせる。
私たちは彼と一緒でも一緒でなくてもロンドンに行く。
私たちを止めさせることはできない、マイケルがそうしようとしても。
彼は怠け者で、すぐに自分の望みどおりにしようとしょっちゅう気を変えるから”



このメールについてゴンガウェアは、マイケルは
“本当にリハーサルが好きではありませんでした。
彼はそういった類のことをすることが好きではなかったのです”
と証言した。

“この時記者会見があるだろうとみんな思っていました。
マイケルは会見に現れないだろうと。
あまりリスクはありませんでした。
費用をかけませんでしたから”
ツアーのこの時についてゴンガウェアは言った。
これは記者会見の前のことだった。

“彼はこういうことをしたがらないのです。
でも、彼がMJのショーをしたいのなら
みんなにマイケルの姿を見せることは大切なことでした”




陪審は、ゴンガウェアからのいくつかのメールを提示された。
それらは、復帰コンサートで彼がいくら利益が上げるのか、
また公演の合間に何日休息をとれるのかについて
AEGライヴが故意にマイケルを誤った方向に導いたという証拠だと
パニッシュ弁護士は主張。

交渉の時、純益の割合ではなくチケットの売り上げ総数をマイケルに知らせるべきだと
ゴンガウェアは彼の上司であるランディ・フィリップスにメールした。
“マイケルへの説明で数字を提示するなら、チケットの総売り上げ枚数の方がいい”
と彼はメールに記した。


パニッシュ弁護士は、ゴンガウェアが2009年3月に
マイケルのスケジュールの色を変えるよう求める秘書に送ったメールについて話した。
“マイケルがそれを見たときに、公演日があまり目立ってほしくない。
公演日とオフの日のコントラストを抑えるように。
オフの日はあまり対照的な色にしない方がいいかもしれません。
7月8日以降のオフの日には“OFF”と入れてください。
あまり仕事をしていないように見えるよう、なんとか考えだしてください”


パニッシュ弁護士:
マイケルがあまり仕事をしていないように見せるために
スケジュールの色を変えることを望んだのですか?

ゴンガウェア:
はい。

パニッシュ弁護士:
あなたは彼を騙そうとしていたのですか?

ゴンガウェア:
いいえ、私は彼を騙そうとしたのではありません。
出来る限りわかりやすく伝えたかったのです。


ゴンガウェアは、マイケルが仕事をした時としていない時を明白にするものであって
彼を騙そうとしたのではないと言った。




2009年3月25日 フィリップスからゴンガウェアへのメール:
私たちは手を引く必要があります。
説明しましょう。


パニッシュ弁護士:
フィリップスはこのショーから手を引くことを望んだのですね?

ゴンガウェア:
彼はカレン・フェイから手を引くことを言っていたのだと思います。



“私たちがマイケルのツアーから手を引くことを話したことはありませんでした”
とゴンガウェアは言い
“ケニーは彼女の状況の扱い方のせいで引くことを望んでいた”
と説明した。

“彼女はマイケルに近づくことをコントロールしようとしていて
ケニーはそれを気に入らなかったのです”
とゴンガウェアは言った。
カレン・フェイは、ツアーはマイケルには無理で危険だと強く意見していた。

ゴンガウェアは、フィリップスが何を言いたかったのかわからなかったと言った。
ツアーから手を引く必要があるとフィリップスが言っていた記憶はないと言った。



“記者会見では彼の体調はいいと思いました。私はそこにいました”
ゴンガウェアは証言した。
ゴンガウェアとフィリップスはマイケルと一緒にO2アリーナにいた。
“マイケルが遅刻して、ランディが、私が行かせる、と言いました”


パニッシュ弁護士:
ランディがあなたに
マイケルは酔っぱらって失望していると言ったのですか?

ゴンガウェア:
いいえ、そうは言っていませんでした。
彼を行かせるのに苦労したと言っただけです。



コンラッド・マーレイ医師について、ゴンガウェアは
リハーサルで一度だけ彼と挨拶を交わしたことがあったと言った。
“マイキーは私に、マイケル・ジャクソンのために彼を雇うよう求めました”
と言った。
“私は彼を雇っていません”

“ショーのための医師として彼を必要としているのだとマイケルに言われました”
とゴンガウェアは言った。
ゴンガウェアはマイケルには知る限りでは病気はなかったと言った。


ゴンガウェア:
彼は身体検査を受け、検査をパスしました。
だから彼に悪いところは何もなかったと思っています。
花粉症はあったかもしれないですが。





パニッシュ弁護士:
まず最初に、あなたがマーレイ医師にいくらほしいのか聞いたのですか?

ゴンガウェア:
はい。

パニッシュ弁護士:
彼は500万ドルほしいと言ったのですね?

ゴンガウェア:
そう言いました。
彼は4つのクリニックを持っていて
閉めなければいけない、人を一時的に解雇しなければならない
と言いました。


ゴンガウェアは、マイケルに自分で医師を雇うよう話したかもしれないと言った。
“彼が医師を望み、私はこのツアーのために彼に健康であることを望んだのです”
“3年間、マイケル・ジャクソンの主治医をしていたという事実は
私にとって十分でした”

ゴンガウェアは、マイケルが同行させることを決めた医師と交渉に
渋々応じたことを認めた。
しかし、彼の役割は、マイケルに求められたことに従った
マーレイのサービスへの報酬を交渉することだけだったとゴンガウェアは言った。

マーレイは当初500万ドルを要求したが
“私は彼にそれはないと言いました”と彼は言い
その後、マイケルが月15万ドルを提示したと言った。
15万ドルを提示されてもマーレイ医師は満足しなかった。

“彼はもっと報酬がほしいと言いだしました。私は
‘この金額はアーティストから直接提示されているのですよ’
と言いました”
とゴンガウェアは言った。
数分後、マーレイは承諾したという。

“契約書を見たことはありません。
マイケルがサインをした時はその場所にいました。
でも、何が書いてあったのかは見ていません”
とゴンガウェアは言った。
“マーレイ医師は100%マイケル側の費用でした。
契約書に基づいて、制作費の95%はマイケル、5%はAEGの負担でした”


パニッシュ弁護士:
誰がマーレイ医師との契約書が必要だと言ったのですか?

ゴンガウェア
わかりません。


ゴンガウェアは、ツアーが遂行されていれば
マーレイ医師は10ヵ月間で150万ドルを稼いでいただろうと話した。
“彼の素行調査はしませんでした。
彼はマイケルの医師をしていましたのでそれで十分でした”
とゴンガウェアは証言した。

パニッシュ弁護士は、どこかで
もうマーレイのサービスは必要ないと言えなかったのか尋ねた。


パニッシュ弁護士:
マイケルの子ども達の世話をしていたナニー(子守)の一人の契約の解除に関わりましたか?

ゴンガウェア:
はい。


ゴンガウェアは、マイケルの出費を減らすために
ナニーのグレイス・ルワンバに、これ以上彼女のサービスは必要ないと話したと言った。


パニッシュ弁護士は、4月から7月の予算に制作費として
マーレイ医師を含めることを認めたのかゴンガウェアに尋ねた。

彼はどの予算を承認したのかわからないと言い
“私の仕事はショーを実行することです”と彼は言った。



フィンケルシュタイン医師ろゴンガウェアは35年以上の付き合いになる。
ゴンガウェアはマイケルの医師になる仕事を依頼したことはないと言い
彼がそう証言したのなら、医師の間違いだろうと言った。
彼はツアー・ドクターの適正な報酬額を尋ねるために
フィンケルシュタイン医師に電話をしたと陪審に話した。
医師は彼に、週1万ドルだと言った。

フィンケルシュタイン医師がツアー・ドクターになることを望んでいたことについては
はっきりと思出せないが彼はそれを望んでいたことを知っていたと言った。
“マイケルが亡くなった後に話をしたのかもしれませんがはっきりと思い出せません”



2009年6月初旬にマイケルの自宅で行われたミーティングには、
ゴンガウェア、ケニー・オルテガ、ランディ・フィリップス、
フランク・ディレオ、マーレイ医師とマイケルがいた。
“マイケルをケアするのに必要なものについてのミーティングでした”
とゴンガウェアは説明した。
“はい、私たちは健康に関する問題を話し合いました”

マイケルの様子が少しおかしかったとゴンガウェア話した。
“彼はちょうどクライン医師のもとから戻ってきたところでした。
なんらかの影響下にあったと思います”
とゴンガウェアは言った。
彼の発音が不明瞭だった。
“でも、そういう彼を見たのはそれきりでした”




***********************************************





ハードなのにハードじゃないように見せるとか
純利益よりチケットの販売総数を教えるとか…

リスクがなんとか言ってる割に
結局どの道制作費のほとんどはMichaelが負担することになってたこととか。

マーレイの裁判では見えなかったことがたくさん見えて来て
本当につらいことですが
この裁判がなければこういう事実は永遠に葬られていたかもしれないのですよね。





$Michael Jackson を語らせて!
彼だけは安らかでありますように









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【不法死亡訴訟】19日目:AEGライヴCEOの証言

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キャサリン・ジャクソンとリビー・ジャクソンが法廷に訪れる。




<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>




【ジャクソン側の直接尋問】


“マイケル・ジャクソンは契約の相手というのが私の認識です”
とゴンガウェアはマーレイの契約について話した。
ゴンガウェアは陪審に、マーレイ医師を
マイケルのツアー・ドクターとして雇った契約書を見たことはないと言った。


パニッシュ弁護士:
なぜAEGはマーレイ医師と契約交渉をしなければならなかったのですか?

ゴンガウェア:
わかりません。


AEGがマーレイ医師を解雇することについてゴンガウェアは
マイケルの医師だったのでそうすることはできないと思っていたと言った。
パニッシュ弁護士はゴンガウェアに
マイケルがマーレイとの契約や報酬額を取り決めたのか尋ねた。
“私を通して彼がしたのだと思います。
彼が私に何を提示するのか指示しました”
とゴンガウェアは証言。
“マーレイ医師は100%マイケル・ジャクソンに管理されていました”



ゴンガウェアは、カレン・フェイが請負人なのかそうでないのか
はっきりとわからないと言った。



コンラッド・マーレイとマイケルの自宅でのミーティングのことを話した
ゴンガウェアの宣誓証言の一部が流された。
宣誓証言で、ミーティングはマーレイ医師に関することと
“彼に従事させること”に関するものだったとゴンガウェアは言っていた。
ゴンガウェアは後に、“彼”というのはマイケルだったと証言を変えた。
ゴンガウェアの“従事させる”という言葉が何を意味していたのか
パニッシュ弁護士は質問した。
“私たちは、マイケル・ジャクソンに従事させ集中させることについて
話していたのだと思います”
とゴンガウェアは言った。

ゴンガウェアは、マイケルに関わること、精神を集中させることに不安があったと言った。
“それはケニーの心配していたことだと思います。
彼はマイケルに集中してほしかったのだと思います”
と説明。
マイケルはリハーサルをせずに帰ってしまったのです、とゴンガウェアは言った。
ミーティングでは、マイケルの健康状態(睡眠問題)ではなく
栄養状態を話し合ったと思うと彼は言った。

マーレイ医師は、マイケルの睡眠問題のことを話さなかったという。
宣誓供述の時は思い出さなかったとゴンガウェアは言った。
マイケルの睡眠問題についてマーレイ医師が話さなかったことを思い出させたものは何か
パニッシュ弁護士が尋ねた。



パニッシュ弁護士は、マイケルがアーノルド・クライン医師を訪れた後に遅れて姿を見せた
マイケルの自宅でのもう一つのミーティングについて尋ねた。
“何に影響を受けていたのかはわからなかったが、彼はちょっとおかしかった”
とゴンガウェアは言った。
クライン医師がどんな薬をマイケルに投与していたのかは知らなかったという。


パニッシュ弁護士は、マイケルに栄養士を付けることに関わったか質問。
パニッシュは、ゴンガウェアがAEGの人間に送った
マイケルには栄養士と理学療法士が必要だというメールを提示。
“私は栄養士を探そうとしていましたが、彼の栄養問題には関与しませんでした”
と彼は言った。

パニッシュ弁護士は、栄養士を探すことに関わらなかったと話す
ゴンガウェアの宣誓証言を流した。


2009年6月15日
マイケルに理学療法士と栄養士を求めるメールへのゴンガウェアの返信

“私たちはそれに取り組んでいます。
AEGはこの市場でメジャーなスポーツ・チームを持ってるので
すぐにふさわしい人間を探すことができると思います”

ケニーの返信:
素晴しい。何とか間に合います。
彼を立て直しましょう!




次にパニッシュ弁護士は
マイケルと仕事をしようとしていたランディ・フィリップスの友人について
ゴンガウェアに尋ねた。
このフィリップスの友人が、栄養専門家だったのかは知らないと言ったが
マイケルと仕事をしていたデヴィッド・ロフナーという人を憶えていると彼は証言。
パニッシュ弁護士は、ロフナーはフィリップスの友人だと指摘した。

“彼が栄養士だったのかはわかりません。
マイケルに食事をさせることを任されていた人でした”
とゴンガウェアは説明した。



ゴンガウェア:
彼はアーティストに非常に良く対応する人でした。

パニッシュ弁護士:
トラブルを抱えたアーティストにですか?

ゴンガウェア:
アーティスト全般です。



ゴンガウェアはロフナーが何をしていたのかは知らないが
彼がジェニファー・ロペス&エンリケ・イグレシアスと仕事をしているの
知っていると言った。

彼は、マイケルは医師を雇っていたのに
なぜ栄養士が必要なのかわからなかったという。
“ケニーがそれを求めたのです”と彼は言った。
彼はマーレイ医師に、マイケルに必要なことすべてをしてほしいと話していたという。




ゴンガウェアは頻繁にはリハーサルに訪れなかったと言い
“私たちは常にマイケルの体調を気にしていました”と説明し
彼はケニー・オルテガの要求に応えていたと話した。
オルテガにはマイケルとマイケルの健康など全てに目を配ることに責任があったと言った。


パニッシュ弁護士:
オルテガは大袈裟に反応していたと思いますか?

ゴンガウェア:
おそらく。

パニッシュ弁護士:
オルテガがマイケルの健康状態に不安を訴えた時
大袈裟だと思いましたか?

ゴンガウェア:
私は彼のように心配ではなかったと思います。


マイケルについて心配になったことは一度もなかったと
ゴンガウェアは言った。




次に、パニッシュ弁護士はゴンガウェアが
“彼に思い出してほしい。
彼の給料を支払っているのはマイケルではなくAEGだということを”
と書いたメールについて言及。
宣誓証言でゴンガウェアは
メールで自分が何を言いたかったのかわからないと言っていた。


パニッシュ弁護士:
あなたの弁護士に会って1~2時間このメールについて話をした後
自分が言っていたことの記憶を取り戻したのですか?
“私は自分なりに多くの結論を出し、その後弁護士と話をしました”
とゴンガウェアは説明した。

パニッシュ弁護士:
あなたの記憶を蘇らせる精神療法をしませんでしたか?

ゴンガウェア:
しませんでした。
今もそれを書いたことを思い出せません。
でも、それを書いたことを認めます。




パニッシュ弁護士は、12月に録音したゴンガウェアの宣誓証言の一部を陪審に聞かせた。
尋問はケヴィン・ボイル弁護士。

"We want to remind him that it is AEG,
not MJ, who is paying his salary."


ボイル:
AEGがあなたの会社、MJがマイケル・ジャクソンと前提にして
それがどういうことを言っているのかわかりますか?

ゴンガウェア:
いいえ、わかりません。
私たちは彼の給料を支払っていませんでしたから。

ボイル:
どうしてそれを書いたのですか?

ゴンガウェア:
わかりません。

ボイル:
では、次に行きましょう。
“彼の給料”とあなたは言っていますが
誰のことについて言っているのですか?

ゴンガウェア:
わかりません。

ボイル:
でも、誰のことを話しているのかわからないとしたら
あなたが彼の給料を払っていないことがどうしてわかるのでしょう?

ゴンガウェア:
このメールを憶えていません

ボイル:
“私たちは彼の給料を支払っていない”と今証言しませんでしたか?

ゴンガウェア:
AEGですか?

ボイル:
イエスですか?ノーですか?
あなたは今“私たちは彼の給料を支払っていない”と証言しました。
たった数秒前にそう証言しましたよね?

ゴンガウェア:
おそらく。

ボイル:
では、誰の給料を言っていたのですか?
マーレイ医師ですか?

ゴンガウェア:
はい。



パニッシュ弁護士は、そのケニー・オルテガとフランク・ディレオへのメールの一語一句を
くまなく調べた。


パニッシュ弁護士:
あなたはマーレイ医師と
マーレイ医師に期待することを言及しているのですよね?

ゴンガウェア:
はい。


“私たちはマーレイ医師の給料について話しました。
が、契約は完了することはありませんでした”
とゴンガウェアは言った。
“彼が任されていたのは彼の患者のケアをすることでした。
マイケルがこの契約書にサインをし、彼への支払いを私たちに指示していたら
私たちは彼に支払いをしていたでしょう”




“マイケルはリハーサルをするのが好きではなかった。驚きました”
と、マイケルがリハーサルに来ないことは知られていて
以前、HIStoryツアーの前も、マイケルはリハーサルをしなかったと話したが
ライトがつくとマイケルにスイッチが入った、と彼は言った。

5月、ゴンガウェアは、ティム・レイウェケの秘書、カーラガルシア
マイケルがリハーサルに来ないので
TIIツアーが始まる日を伝えられないと書いた1通のメールを送っていた。


2009年5月5日のメール:
お祈りください。
悪夢です。
たまたまではなく、毎晩悪夢を見ます。
冷や汗も出ます。
それまで人生はとても楽しかったのに…


これはマイケルがショーを行えるのか懸念していたことを認めるものではない、
と彼は言った。
“これはただふざけていたんです、冗談です”
と彼は証言した。

“彼女は本当に可愛い子で声をかけようとしていました。
冷や汗などかいていなかったし、悪夢にうなされることもありませんでしたし
とてもよく眠ったいました”
とゴンガウェアは言った。


2009年6月20日 フィリップスからのメール:
Bugzee、ケニーから留守電にメッセージがありました。
そこで彼が何をし、彼とケニー・オルテガの間に何があったのでしょう?
明日の朝、マイケルとミーティングをします。

Bugzee(Hougdahl)からの返信:
マイケルは炎のデモンストレーションと舞台効果を確認して楽屋に行き
ケニーに“アーティストを殺さないだろうね?”と言いました。
私たちは、火を使った効果のことを言っているのだと思ったのですが
ケニーは、彼は震えてしまってナイフとフォークを握ることができなかったと言いました。
ケニーは食べ物を切ってから彼に食べさせなければなりませんでした。
その上彼は手で食べなければなりませんでした。
私はこの話がどれほど脚色されているのかわかりませんが
マイケルはステージに立てるような状態ではない、と彼は繰り返し言っていました。
彼はずっと、“彼に準備をさせること”に対する責任をとらされ続けていました。
私たちの域を越えているかもしれません…ダメージをコントロールすることは。

フィリップスの返信:
ティムと私で、明日彼に会ってきます。
でも、何が問題なのか私にはわかりません。
薬ですか?それとも生理的なものですか?



当時彼は家族の結婚式に出席していたためこれにはまったく気を留めなかったという。
マイケルに何らかの問題があると聞いたのは、これが初めてだったと言った。


ゴンガウェアの返信:
医師を同席させてください。
きのうの夜、なぜ彼はそこにいなかったのですか?


フィリップスからの返信:
彼は精神科医ではありません。
だからこの時点で彼がどのくらい対応できるのかわかりません。
言うまでもなく、彼がそこに来させることが問題なのではありません。
もっと根深いものです。


パニッシュ弁護士は、“この問題は…もっと根深い”とフィリップスが言った意味を
尋ねたのかゴンガウェアに質問した。
彼はノーと言った。


Hougdahlからフィリップスへの返信:
ここ8週間で彼の状態が悪くなっていくのを目の当たりにしました。
4月には何回転もスピンできたのに
彼が今それをしようとしたら転んでしまうでしょう。


“6月20日にミーティングがありましたが私は同席しませんでした”
とゴンガウェアは話した。


フィリップスからゴンガウェアへのメール:
あいにく私たちは時間がありません。
それが最も私が懸念するものです。


ゴンガウェアは、フィリップスには同意しないと言った。
“彼はそう言ったかもしれないが、私はそう思いませんでした”

パニッシュ弁護士は
“何が起ころうとショーを続けなければならない”というショービズ界の格言を
重視しすぎたのではないかとゴンガウェアに言った。
ゴンガウェアは否定。
彼は、マイケルの体調を心配してはいたが、
ツアー・ディレクターのケニー・オルテガが
マイケルの体調を過度に心配したのかもしれないと思った、言った。



2009年6月20日 フィリップスからレィウェケとゴンガウェアへのメール:
この人は本当に私を心配にさせる。
彼のメールと私の返信を読んでください。
マーレイ医師と私は、今日4時にフォーラムでマイケルとミーティングします。


ゴンガウェアは誰のことを言っているのかわからないと言った。
“最も重要なのはアーティストの健康です。
アーティストなしにショーはありません”
と、ゴンガウェアは証言した。


2009年6月19日 フィリップスからレイウェケへ:
大きな問題があります。

2009年6月19日 レイウェケからフィリップスへ:
あなたと私で彼に会いましょう。
ケニーにも同席してもらいたい。

オルテガからの返信:
この状況を抜け出すために出来ることは何でもします。
医師の介入と愛のムチを使うこと、それが今私が持っている考えです。
今夜、彼はかなり衰弱し、疲れ切っているように見えました。
彼はひどい寒気で震えていて、とりつかれたようにひたすらしゃべっていました。
私が言えるのは、彼に精神的に診断を受けさせるべきだということです。
彼を再びステージに戻すチャンスをもらえるのなら
体力をつけることと同様、ここから彼を救出するために
早急に力のあるセラピストが必要です。
今夜、デザイナーとの衣装合わせで、振付師から聞かされました。
彼の体重がさらに減っていることに彼らは気づいていました。
私の知る限り、日常的に彼のケアを任されている人間は誰もいません。
今夜、彼のアシスタントはどこにいたのでしょう?
今夜、体を温めるために毛布にくるまっている彼に私は食事をとらせ
彼を落ち着かせるために足をマッサージし、彼の医師に連絡しました。
彼の部屋の外には4人のセキュリティがいましたが
彼に温かいお茶を差し出す人は誰もいないのです。
つまり、みんなが知ることが大事なのです。
彼にはこれが本当に必要だと思います。
もし私たちが手を引いてしまったら、彼を傷つけ彼を粉々にしてしまうでしょう。
彼はすべてを失うことをひどく恐れています。
今夜、私が彼のもとを離れてしまうのかと、彼は繰り返し私に尋ねて来ました。
彼は私に約束するよう懇願しました。
ショックでした。
彼はまるで、迷子の少年のようでした。
彼が必要とする手助けを私たちが与えれば
彼がこの状況から脱するチャンスはまだあるかもしれません。


フィリップスからの返信:
ケニー、答えが出たら連絡します。
私たちには、そのような人がいます。
ブリジットという、ロンドンで彼の滞在先の話を進めている人間です。
私たちは彼女を出来るだけ早く呼び戻します。フランクも。
でも、誰をセラピストとして向かい入れるのか、
こんなにも短い時間で彼らが対応しきれるのか頭を抱えています。


ブリジットはロンドンでマイケルの滞在場所を担当していた弁護士だと
ゴンガウェアは言った。
“これはそのミーティングの頃に起きたことです。
私はその状況を知らされるのを待っていました”
と話した。

2009年6月20日、フィリップスは、ケニーや他の人たちを
素人の精神科医や内科医にならいよう強く迫るメールをオルテガに送った。
“今、この公演を中止することで発生する問題や損害を
あなたには想像できないのです”



パニッシュ弁護士はマイケルのリハーサルに訪れたときのことについて
ゴンガウェアに質問した。
ゴンガウェアはあまりリハーサルに行かなかったと言った。
また、マイケルが亡くなる2日前、“Thriller”を歌うマイケルを見たと言った。
“衣装を着てリハーサルをするのが初めてだったので見たかったのです”
と、ゴンガウェアは言った。



-----------------------------------------------------






AEGの主張は、起きてしまった現実からは遠くかけ離れていて。
オルテガやカレンさんに矛先を向けるのは
もはや負け犬の遠吠えのようにすら聴こえて来ます。

人はそんなに簡単には死なないのよ。
と歯を食いしばる。




$Michael Jackson を語らせて!





痛いわ汗
歯医者行かずに放置していた歯が痛いわ(TωT)
歯医者通います…






$Michael Jackson を語らせて!
彼だけは安らかでありますように






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以下余談…w






きのうは気分転換にマダム・タッソーへ♡


$Michael Jackson を語らせて!-ipodfile.jpg



タソケルさんに久しぶりにお愛してきました♡


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☆ネルソン・マンデラ元大統領☆

Michael Jackson を語らせて!

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☆ダイアナ元妃☆

Michael Jackson を語らせて!

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☆スティーヴン・スピルバーグ監督☆

Michael Jackson を語らせて!

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☆ET☆

Michael Jackson を語らせて!

Michael Jackson を語らせて!-attachment02.jpg





もはやオイラの能力を完全に越えたこの裁判を追う作業。
そこにひとときの“escape”を与えられ
また今日から頑張ろうと想う次第でございますo(_ _*)o

だからオイラにパワーをください!




【不法死亡訴訟】19日目:AEGライヴCEOの証言

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キャサリン・ジャクソンとリビー・ジャクソンが法廷に訪れる。



<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>



【ジャクソン側の直接尋問】


パニッシュ弁護士は、AEGがマイケルの健康状態を心配していたのか質問。
“彼が体調が悪かった時、私たちは心配になりました”
とゴンガウェアは答えた。

ゴンガウェアは昨日提示された一連のメールを読んで
マイケルが病気だったということがわかったと言った。
しかし、マイケル・ジャクソンに対して特に懸念はなかった言い
ゴンガウェアはHoughdahlの意見には同意しないと証言。
“私は彼のような見解をしませんでした”

トラヴィス・ペインのマイケルの体重への懸念に対応したHougdahlは
マイケルには別のダイエットが必要だと書いた。


2009年6月15日 Hougdahlからゴンガウェアへのメール:
彼にはウイスコンシン州のチーズたっぷりのチーズバーガーが必要だ。


パニッシュ弁護士は、このメールがおかしいと思ったかゴンガウェアに質問した。
ゴンガウェアは“はい”と言った。
マイケルの健康状態を心配していたかったとも言った。


パニッシュ弁護士:
この状況について彼は冗談を言ってたのですか?

ゴンガウェア:
そうだと思います。

パニッシュ弁護士:
それはおかしいと思いましたか?

ゴンガウェア:
思いました。


パニッシュ弁護士は、自分の契約に補償に関する条項があったかゴンガウェアに尋ねた。
“12~13年、自分の契約書に目を通していません。
どう書かれているのかわかりません”




パニッシュ弁護士は、マーレイにはこの仕事は必要なく
公正で道徳的だというフィリップスからのメールについて質問した。


パニッシュ弁護士:
フィリップスは公正で道徳的ですか?

ゴンガウェア:
そうだと思います。


医師が“大変成功”していた、“私たちはすべての人の調査をした”とオルテガに言った
フィリップスが道徳的なのかどうかパニッシュ弁護士は尋ねた。
ゴンガウェアは、当時フィリップスが何を知っていたのかはわからないと答えた。


パニッシュ弁護士は、彼にはマイケルのための適格なセラピストがいることと
薬物乱用が関わっているかの質問していた
マイケルの弁護士ジョン・ブランカのメールを提示した。

“これは開かれる予定のミーティングのことを言っているのです。
私はその結果が知らされるのを待っていました”
とゴンガウェアは言った。

“私は薬物乱用問題があると思っていませんでした”
“このツアーで彼と関わっている間、医師のもとから彼が戻ってきた時
一度それを目にしました”
とゴンガウェアは証言した。

何らかの影響を受けている彼、不明瞭な発音で話す彼を見たのは
その時だけだったと彼は言った。
パニッシュ弁護士が、クライン医師の調査をしたのか尋ねると
彼は“いいえ。彼はマイケルの医師ではなかったので私には関係のないことでした”
と言った。

しかし、ゴンガウェアは、
6月19日のリハーサルで混乱し弱々しいマイケルが姿を現した後でさえ
マイケルの健康状態に問題はなかったと思っていたと言った。
“私が見たところ、マイケルは健康でした”
とゴンガウェアは証言。
“彼らは話し合いをして(6/19)、彼は2~3日休み
そして回復して戻ってきました”



6月25日、保険に疾病に対する補償がないのならその約款を落としているというメールを
ゴンガウェアは送っている。
彼は、なぜマイケルが死亡した日に疾病保険を強く求めたのかわからないと言った。
ランディ・フィリップスがマイケルが死亡した日に生命保険を要求したことに関して
あまり保険のことを気にかけていなかったので思い出せないとゴンガウェアは言った。


マイケルが死亡した日、フィリップスから連絡を受けた。
フィリップスはUCLAメディカル・センターへ向かう救急車を追った。
“次の彼からの連絡は、彼が亡くなったことを知らせるものでした”
と、ゴンガウェアは言った。
6月25日、ゴンガウェアはステープルス・センターで行われているリハーサルに行き
ケニー・オルテガと話をしたと言った。


パニッシュ弁護士:
マイケルが亡くなって、哀しかったですか?

ゴンガウェア:
とても哀しかったです。


彼は仕事仲間だったとゴンガウェアは言った。


パニッシュ弁護士は、TIIのドキュメンタリーから
赤いジャケットを着たマイケルのシーンを削除することをゴンガウェアに指示する
フィリップスのメールについて質問。
ゴンガウェアは、そのメールを受け取ったことを思い出したと今日証言した。
法廷で流された彼の宣誓供述の中で、彼はそのメールを憶えていないと言っていた。

“ミニ映画が撮影されていたサウンド・ステージでの
赤いジャケットを着たマイケルのショットを必ず除外するように”
と、フィリップスは2009年8月9日にメールに書いてる。

“彼は痩せすぎていて骸骨のように見える”というメールに
ゴンンガウェアは“わかりました。スクリーンで見てみましょう”と返信した。

彼は、マイケルがリハーサルに没頭していたことを表すために
いかなる操作もしなかったと言った。

2009年7月9日の音楽コーディネーター、ジョアン・トミナガへのメールでゴンガウェアは
“バンド、シンガー、ダンサーがインタビューを受けても差し支えありません。
私たちがお願いするのはただ一つ、マイケルが元気で没頭し
誰かが仕立て上げようとしていたような痩せ衰えた人ではないということを
積極的に強調することです”
と書いている。
“私たちは彼らに前向きな姿勢でいるよう求めました”

“言っていいことと悪いことを彼らに指示したのですよね?”
と、パニッシュ弁護士はゴンガウェアに尋ねた。
“私は彼らに、前向きな姿勢を保つようにと言っただけです”
“それは、彼が痩せ衰えていたと言うな、ということです”
パニッシュ弁護士は返した。

“それでは、あのドキュメンタリーのブロデューサーとして
メッセージをコントロールしていたということではないですか”
と、パニッシュ弁護士は言い
インタビューを収録したTIIについて言及した。

“私はそうは思いません”
とゴンガウェアは答えた。

ゴンガウェアの証言は、2012年12月の宣誓証言での答えと
今回の法廷での答えが違うことが再び明白になった。
水曜日の証言で、フィリップスがメールで“痩せている”と言ったことに彼は同意した。
しかし、12月の証言では“彼が何を言っていたのかわからない”と答えていた。

ゴンガウェアは、ドキュメンタリーから削除されたものは何もない、と言った。
“ランディ(フィリップス)のメールに従って削除したものは何もありません”
そして、なぜフィリップスがそんなことを求めたのかわからないと証言。



1公演につきチケットは15,000枚、1公演につき150万ドル、
全31公演で4,700万ドルの売り上げで、
チケットは瞬く間に売れたとゴンガウェアは言った。
チケットは3月に発売され、売り上げはAEGが管理していた。

別の収入源としてマーチャンダイジングがあるとゴンガウェアは言った。
AEGが所有するビルは飲料販売の収益で保たれている。
マイケルが支払う必要のないアリーナの使用料は飲料の収益で相殺したと
ゴンガウェアは言った。



昼休み前、パニッシュ弁護士はゴンガウェアに
TIIは多くの都市をまわるツアーになる予定だったの尋ねた。
ゴンガウェアは“いいえ”と答え、
ロンドンの02アリーナで行われる50公演のみ行う予定だったと言った。
“マイケルはそれ以外には同意しませんでした”

チケットが完売した時、どれくらいの人たちがチケットを求めていたのか
パニッシュ弁護士は質問した。
“25万人の人たちがまだチケットを求めていました。
それはもう50公演販売できるほどです”
とゴンガウェアは答えた。
マーレイの裁判で、ゴンガウェアはまだ25万人がチケットを求めていて
多くの都市をまわるツアーになるはずだったとと証言していた。



パニッシュ弁護士:
この裁判であなたは真実を証言しましたか?

ゴンガウェア:
はい。


そして、パニッシュ弁護士は、ゴンガウェアへの尋問を終えた。





【AEG側の反対尋問】


AEG側の弁護士マーヴィン・パトナムによる反対尋問。


パトナム弁護士:
今まで個人的に不法死亡訴訴訟を起こされたことはありますか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:
どんな気分ですか?

ゴンガウェア:
つらいです。
とても緊張します。

Putnam: Are you nervous?
Gongaware: Yes (ABC7)



パトナム弁護士は、きのう陪審に提示されたメールについて
ゴンガウェアに質問した。

パトナム弁護士は、そのメールの内容はすべてではないことを示そうとした。
いくつかのメールは編集されていた。
パニッシュ弁護士は異議を唱え、裁判官に詰め寄り
長いサイドバーとなった。
(※サイドバー…裁判官と弁護士の間で陪審員に聞こえないように行われる協議)
弁護士たちが判事室から戻ると、彼の個人的なアカウントに送られたメールについての
ゴンガウェアへの質問を再開した。


パトナム弁護士は、TIIに携わっていた時期に送られていた13,000件以上のメールを
ゴンガウェアは引き渡したと言った。

パトナム弁護士は、ゴンガウェアの“Kazoodi”個人的なメール・アカウントについて質問。

2009年6月20日、“Trouble at the Front”というメールが送られている。
ゴンガウェアはこのメールを受け取ったことを知らないと言った。
彼は2つ以上の“Kazoodi”のメール・アカウントを持っていて
6月20日にそのメールが送られたアカウントは使っていなかったと言った。
“当時、そのアカウントは閉鎖されていました”と証言、
そのメールは受け取っていないと言った。
しかし、そのメールが送られていたことは否定しないとゴンガウェアは言った。
きのう、ゴンガウェアは“Trouble at the Front”という件名のメールを見たのは
初めてだと主張している。

“なぜメールを思い出せなかったのですか?”
とパトナム弁護士は質問。
“それらを確認していなかったからです。もう何年も確認していませんでした”
と、ゴンガウェアは答えた。
彼はマイケルのツアーのことで多忙を極めていたためそれらを読んでおらず
提示されたメールの中には読んでいないものがあったと言った。


ゴンガウェアはAEGに事務所を持っておらず、自宅に事務所を構えているという。
彼はAEGライヴ・コンサート・ウェストの共同CEOであり共同創立者だと言った。
フィリップスはAEGライヴのCEOである。

ゴンガウェアは、思い出せるものについて証言したと説明。
もし憶えていなければ、陪審に思い出せないと言ったと話した。
フゴンガウェアは、すべてまとめて全体像を見たかったため
証言録取書をとった後にそのメールを見たと証言した。


パトナム弁護士:
あなたは出来る限りの証言をしようとしましたか?

ゴンガウェア:
はい、しました。


マーレイ医師が500万ドルを求めたゴンガウェアとマーレイ医師の間の電話について
彼はその電話を憶えていると話した。
ふたりのその次の電話は、ゴンガウェアが医師に15万ドルを提示したものだった。
マーレイ医師と電話で話したのはその2回だけだったと彼は言った。

キャロルウッドのマイケルの自宅でのミーティングで、初めてマーレイ医師に会ったという。
オルテガ、フィリップス、ディレオ、マーレイ医師がいたと彼は言った。
彼は新たに、マーレイ医師とフォーラムで偶然会い、挨拶をしたことを思い出した。
その2回以外、マーレイ医師と会っていないのは確かだとゴンガウェアは言った。



2009年6月25日、ゴンガウェアは見舞いのメールを受け取っている。


2009年7月5日の返信:
エルヴィスのツアーに携わっていたとき、エルビスが亡くなりました。
だから、何が起こるのかある程度わかっていました。
でも、本当にショックです。


“それに関わるすべての人が職を失うのです”
とゴンガウェアは説明した。
“エルヴィスの時は、永遠に職を失う人もいました”

マイケルがエルヴィスのように亡くなることを予想していたという意味ではないと
ゴンガウェアは説明。
ツアーが中止になったことで職を失う人たちの心的外傷のことを言っていたのだと言った。


パトナム弁護士:
このメールを書いたとき、マイケルの死を予測していたのですか?

ゴンガウェア:
いいえ、まったく。

パトナム弁護士:
マイケルが死んでしまうだろうと思ったことはありますか?

ゴンガウェア:
いいえ。


マイケルの死後の彼の予定について尋ねられた時
ゴンガウェアは“ショーによる損失を取り戻そう”としていると応えている。

“マイケルはプロポフォールの過剰投与で死亡しました。
彼は病気や栄養失調で死亡したのではありません”
とゴンガウェアは言った。
彼はプロポフォールが何なのか知らず、
亡くなる前の数週間、マイケルがプロポフォールを使っていたとは思いもしなかったと証言。



水曜日、エルヴィスは薬物の過剰摂取で死亡したとゴンガウェアは証言していたが
パトナム弁護士の尋問で、エルヴィスは心臓病で死亡したと証言を変えた。
プレスリーはテネシー州メンフィスのマンションの浴室で倒れた。
1977年8月16日、42歳のだった。

彼の死は、不整脈によるものと結論づけられたが
その検死報告は処方薬の乱用が原因という罪の中に隠された。

プレスリーの死亡した過程が関連づけられたのは
エルヴィスのプロモーターとしてのゴンガウェアの経験は
マイケル・ジャクソンを含むアーティストの薬物乱用に気づきやすくしたはずだと
ジャクソン家側が主張したためだ。



ゴンガウェアはマイケルの追悼式に携わった。
彼はチケットを任され、家族と緊密に関わった。
彼はその仕事に報酬を求めなかったと言った。



パトナム弁護士:
Dangrousツアーには医師が同行しましたか?

ゴンガウェア:
はい、2名の医師がいました。


フォーキャスト医師がマイケルの主治医だったと言った。
フィンケルシュタイン医師はB、C、Dグループを診ていた。
フィンケルシュタイン医師はゴンガウェアに、マイケルを診たのは2回だと話したという。

フォーキャスト医師はまだバンコクになかったので
マイケルが必要なときには彼が診察をしていた。

タイの王が、友人が来るので2公演やるようマイケルに言ったのをゴンガウェアは思い出した。
帰らせないよう、部屋の外に武装した警備員を王が配置していたとゴンガウェアは言った。



パトナム弁護士:
Dangerousツアーで、マイケルが薬物や鎮痛剤に問題を抱えていたことに
気づきましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。


1993年にメキシコ・シティでDangerousツアーは中止になったとゴンガウェアは言った。
マイケルがそれを発表したので、薬物を常用していたことを知ったという。

“私の友人や医師が、中毒となっているものを取り除くために
直ちに専門の指導を求めるよう私にアドバイスしました。
そろそろ治療の必要性を認めなければ”
とマイケルは言っていた。

パトナム弁護士はその時のマイケルの声明の音声を流した。




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【不法死亡訴訟】21日目:AEGライヴCEOの証言

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キャサリン・ジャクソンとリビー・ジャクソンが法廷に訪れる。




<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>




【AEG側の反対尋問】



パトナム弁護士は、マイケルが鎮痛剤を摂取していた理由を何か知っていたか
ゴンガウェアに尋ねた。
Dangerousツアーの3rdレグが始める前にマイケルは頭皮の手術を受けており
神経に触れて非常に痛んだためその治療をしていたと彼は言った。

“彼がペプシのCMの撮影をしていた時、彼の髪に火が付きました”
とゴンガウェアは説明。
髪が自然に見えるように手術をしたと言った。

“依存症だったのは知りませんでした”
とゴンガウェアは言い、メキシコ・シティでの公演の後
マイケルが薬物問題を抱えていたことを知ったという。



ゴンガウェアはDangerousツアーの後にロッド・スチュアートの北米ツアーに携わり、
1996~1997年のHIStoryツアーで再びマイケルと仕事をする。

ハワイでツアーが終わった後(1stレグ)、マイケルは2,700万ドルを失い
照明や音響に1,100万ドルの借金を負ったとゴンガウェアは言った。
彼はツアーの後半でそれを修復するためにマネージャーを変えたという。

ゴンガウェアは多くの費用をカットしなければならなかったと言った。
マイケルに同じショーをやらせたかったが、多くのものがカットされたと言った。

ツアー後半、ゴンガウェアは幹部となり、マイケルと直接関わって仕事をするようになった。
そこでは1,400万ドルの利益を得、1,100万円がベンダーの支払われた。
なんとか採算がとれたとゴンガウェアは証言。


パトナム弁護士:
HIStoryツアー中、マイケルに鎮痛剤の問題を抱えている恐れはありましたか?

ゴンガウェア:
いいえ、まったくありませんでした。



ゴンガウェアは、マイケルが鎮痛剤を常習しているようなものは
何も目にしなかったと言った。
HIStoryツアーの後半、マイケルは医師を同行させなかったという。


パトナム弁護士:
HISoryツアーはどうでしたか?

ゴンガウェア:
素晴しかった。
彼は本当に素晴らしかった。



マイケルが唯一公演をキャンセルしたのはダイアナ元妃が亡くなった時だった。
“事故を知って、彼は寝込んでしまいました”
とゴンガウェアは言った。
マイケルはダイアナは大丈夫だと言ったが、翌朝彼女が亡くなったことを知ったという。
“そのことは彼に大きな影響を与えました”
(後にその時のツアーは、HIStoryツアーではなくDangerousツアーだったと訂正)


HIStoryツアーはかなり順調で、1997年に終わった。
直後、ゴンガウェアはマイケルから自分のもとで仕事をしないかと連絡を受けた。

“彼は私の働きぶりを気に入ってくれたんです”と彼は言った。
マイケルは自分のビジネス・マーネージャーになることを望んだ。

しかし、ゴンガウェアはそのオファーを受けず
自分でコンサートをプロモートすることを決めたという。
ゴンガウェアはパートナーであるジョン・メグレンと
1990年代後半にコンサート・ウェストを設立。
2000年頃、AEGがコンサート・・ウェストの証券を所有したとゴンガウェアは言った。
そしてコンサート・ウェアウトはAEGライヴになった。
ランディ・フィリップスはAEGのCEO。

AEGは業界第2位のコンサート・プロモート会社だとゴンガウェアは言った。
トップはライヴ・ネーション。


パトナム弁護士:
NO.1になりたいと思っていましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。
それは大きすぎます。
それだけ複雑になります。
NO.2でいることが私はいいのです。



次にゴンガウェアがマイケルに会ったのは“This Is It”ツアーだった。
2007年、マイケルの弁護士ピーター・ロペスがゴンガウェアのパートナーに
会いたいと連絡をしてきたという。

1997年から2009年まで、マイケルは2度の公演をしただけでツアーは行っていなかった。

2007年に、ゴンガウェアはマイケルに会いにラスヴェガスに行った。
そのミーティングはどうAEGがツアーを行うかを話しマイケルのツアーについてではなかった。

その次に彼らがあったのは2008年、ラスヴェガスだった。
“ポール・ゴンガウェア!君がいたら、何事もうまくいくと思うんだ”
とマイケルが言ったと彼は話した。

マイキーと呼ぶのは侮辱してではない、とゴンンガウェアは言った。
マイケル本人と会う時はマイキーと呼んでいたのだという。


パトナム弁護士:
2007年に会った時、彼は痩せて見えましたか?

ゴンガウェア:
はい。彼はいつも痩せていました。


パトナム弁護士:
彼に鎮痛剤の問題があるように見えましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:
何らかの影響を受けているように見えましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。


ゴンガウェアは、2007年のミーティングで話したことにマイケル関心を持っていたと言った。

その次にマイケルに会ったのはNYだった。
何を話したのか憶えていないとゴンガウェアは言った。

2008年、マイケルとコンサートについて話し合いを始めた。
マイケルのマネージャーだったトーメがAEGに持ちかけてきた。
ランディ・フィリップスは、トーメとピーター・ロペスとともに
復帰ツアーについて話し合いに加わっていた。
話し合いが始まったのは、ラスヴェガスのヒルトン。


コロニー・キャピタルは、ネバーランドの抵当権を買った投資信託会社だと
ゴンガウェアは言った。
ネバーランドはサンタ・バーバラにあるマイケルの家だと彼は言った。
“彼ら(コロニー)はネバーランドをどう扱うか考えだそうとしていました”


マイケルはTIIツアーのためにAEGと契約をした時
ゴンガウェアは、マイケルの自宅がキャロルウッドになることを話した。

マイケルは契約書に全て目を通したという。
ゴンガウェアは、ミーティングでのマイケルはかなり注意深かったと言った。
マイケルにリハビリ施設に入っていた過去があることを知っていたが
薬の問題は何も目にしなかったという。

ツアーの契約をした後、マイケルに健康診断を行った。


2009年2月11日 ボブ・テイラーからゴンガウェアへ:
ポール、ありがとうございます。
今、健康診断と血液検査の報告を受けとりました。
大丈夫そうです。
利用できる情報がもう少し必要です。
保険会社へのプレゼンテーションに役立つでしょう。

保険ブローカーからの更なる要求:
21日ごとの最新の医療情報を保険会社に提供したい。


ゴンガウェアの返信:
メールに返信をする準備が出来ていません。



ゴンガウェアは、処方薬を乱用には何の心配もなかったと言った。

“彼は健康だと思っていたことが確信になりました。
彼は薬物は使用していませんでした”
とマイケルの健康診断の結果について証言。

“私たちは前払い金を支払わなければなりませんでした。
彼はお金を持っていませんでした。
だから私たちは立て替えなければならなかったのです”
と、ゴンガウェアは言った。

お金を必要としていることを、トーメがAEGに話した。
マイケルにはお金を稼ぐことが必要だと、トーメは何度か強調したという。


マイケルとオルテガが彼らが求めるクリエィテブなアイデアを見つけ出し
ゴンガウェアがそれを実現させる方法を考えなければならなかったと言った。

バーバンクのセンター・ステージングで初期のリハーサルを行ったという。
その後、ライトをつける高い天井のないフォーラムに場所を移し
後にステープルス・センターに移動した。

マイケルがツアーの名前を“This Is It”に選んだのは
それが彼の最後のツアーにするつもりだったからだとゴンガウェアは言った。
彼らはマイケルがどのようにツアーを行うのかはっきりわからなかったという。


ゴンガウェア:
ツアーを行うということがどんな仕事なのかわからないでしょう。
需要があるのかわかりませんでしたが、成功することだけを願っていました。


“プリンスがO2アリーナで21公演行ったので
マイケルがもう10公演やることを望んだのです”
とゴンガウェアは言った。
当初、彼らは31公演を予定していた。
“チケットの売れ行きがどうなるのかわからなかったので
動向を伺うために10公演だけ発表しました”

“プレセールで需要は明確になりました”
“彼はトーメに50公演以上を打診しました。
トーメは、マイケルが50公演やると言ったと言いました”


2009年3月5日、マイケルはO2アリーナで記者会見を開き、復帰ツアーを発表した。
ゴンガウェアもその場所にいた。

マイケルは時間通りに姿を現さず、2時間遅刻。
マイケルはそういうこと(記者会見)をすることを好まなかったので
少しイライラしたがかなかったとゴンガウェアは言った。

“マイケルは私のところにやって来てハグをし
‘テレプロンターは大きな字でお願いする。メガネを持っていないんだ’
と小さな声で言いました”


パトナム弁護士:
彼は酔っているようでしたか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:
アルコールのにおいはしましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。


プレッシャーはもの凄く大きかったがプレスの反応はとても良かったと彼は言った。
“みんな彼に帰って来てほしかったのだと思いました”
反応を見て、ツアーは大成功すると思ったという。

後日、マイケルがツアーのことで電話をしてきたとゴンガウェアは言った。
マイケルがショーの演出にケニー・オルテガを選んだ。

マイケルは特殊効果が好きで
マイケルのために最新の特殊効果のプレゼンテーションを企画したという。
デモンストレーションは、2009年3月16日に、ソニー・スタジオで行われた。
それまでにないLEDを使った3D効果と、新しいタイプの炎の演出だった。
パトナム弁護士は、TIIのそのシーンを流した。

“マイケルはそれを気に入っていました”とゴンガウェアは言い
火を使うことに困惑していたようには見えなかったと言った。

クールな水が噴き出す効果の実演もされたが
マイケルが好まなかったため採用されなかったという。

デモンストレーション中、マイケルはとても熱心で
すべての特殊効果にとても感動していたとゴンガウェアは言った。

2009年の3月は、マイケルにスローだったり無気力だったりする様子はなく
薬のこともまったく心配していなかったと彼は言った。

2009年3月17日に予定されたミーティングはマイケルとオルテガだけで話し合うべきだと
マイケルのアシスアントにゴンガウェアはメールした。
マイケルとオルテガが制作の中心で
誰か他の人が関わる前にショーの方向性を見つけることが必要だったと彼は説明した。

ケニー・オルテガがマイケルの健康状態を懸念していたことに関しては
AEGの人間は誰一人としてそのことを言って来た者はいないと言った。

ふたりは友人であり、ともに仕事をしていたから
オルテガがマイケルのことを注意深く見ていたのだと思ったという。



ゴンガウェアは月曜日と火曜日にも証言をするものと思われます。



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今週の法廷はこれで終わりです。

一緒に見守ってくださった皆さま
ありがとうございました。

TIIの映画で、みんなが口をそろえて
“Michaelが元気だった”
と言っていた理由が明らかになりました。

それが今週繋がった、点と点。







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今日は
☆愛のブランケット・プロジェクト☆
のお針子隊出動初日でした。







$Michael Jackson を語らせて!-attachment01.jpg






きのうの夜、全国から届いたラブレターをせっせと開封。
丁寧に丁寧に梱包されたMichaelへのラブレター。
開けた瞬間に封から光が出るの!!
愛は目に見えないなんて嘘ね。
ちゃんと目に見えるの…泣けた。

2時間かけて1枚1枚大事に受け取らせていただきました。
愛溢れるお手紙、お心遣い、
ほんとにほんとにありがとう!
((BIG HUG))


グルっぽには載せたんだけど、こちらにも。






$Michael Jackson を語らせて!-attachment04.jpg






裁判の内容を知って
とっても寒がっていたというMichaelを温めようと
本当にたくさんのガールが参加してくれました・°・(ノД`)・°・

お針子の皆さま、お疲れさまでした&ありがとう!

今年もまた6の月がやって来ました。
みんなの愛がMichaelを包んでくれますように…






$Michael Jackson を語らせて!





今回、8才のお子さまからのパーツもあったんですよ☆
世代を越えて、時代を越えて
Michaelは永遠に誰かの心の中で生き続けていくことを
あらためて実感しました。






$Michael Jackson を語らせて!

僕の音楽が様々な世代に届いているということは
素晴しい賛辞です。
本当に嬉しいことです。
Michael Jackson







Happy Michael Monday!!

今日、お針子隊のみんなと感動しながら見上げた
太陽の周りにかかった虹を
ずーっと忘れないよ。




$Michael Jackson を語らせて!-attachment00.jpg



Michaelが起こしてくれたミラクル☆
なーんてね!
















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【不法死亡訴訟】22日目:AEGライヴCEOの証言

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今日はファミリーはだれも法廷に訪れなかった。




<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>




【AEG側の反対尋問】


パトナム弁護士は、公演日を数にマイケルが満足していたかゴンガウェアに質問。
“はい。すべて彼を通しましたから”
と、ゴンガウェアは言った。

ツアー・マネージャーのバグジーが壁に大きなカレンダーを掛け4回の公演日を変更したという。
4公演の日程を変更するとマイケルは満足したとゴンガウェアは言った。
7月に8公演、8月に10公演、9月に9公演を予定、
10月、11月、12月は公演は行われず
1月に再開され10公演、2月に10公演、3月に3公演行う予定だった。

02アリーナには2009年10月~12月は先約があったため
マイケルのコンサートはできなかったと彼は言った。


パトナム弁護士:
これはハードなスケジュールですか?

ゴンガウェア:
いいえ、まったく。


HIStoryツアーでは国をまたいで1ヶ月10~12公演行ってたが
これはロンドンでのみ行われるツアーだったとゴンガウェアは言った。

彼はマイケルの年齢は心配していなかったと言った。
“私には問題ないように見えました”と彼は言い
このツアーは場所を移動するショーではなかったと言った。



マイケルが最初の公演の延期を望んだのは
彼がショーが行われるO2アリーナでリハーサルをすることを望んだからだと言った。
マイケルとオルテガがリハーサルの予定を立てていたという。
契約に含まれていなかったのでマイケルがリハーサルに参加する必要はなかったと説明。
彼らがアーティストにリハーサルに来るよう要求することはないと言った。

“私は何も期待していませんでした”
ゴンガウェアはマイケルのリハーサルについて語った。
マイケルはHIStoryツアーの時リハーサルをしなかったと釘を刺した。
“出番になると彼は現れました”とゴンガウェアは説明した。



彼が書いたマイケルを怠け者と呼ぶメールについて
マイケルがリハーサルを好まなかったことに対し不適切な言葉を使ってしまったと
彼は言った。



ショーの構成について、ゴンガウェアはショーのオープニングについて説明。

主な歴史的な出来事のフラッシュ映像を流す、
テレビのようなLEDライトがついたスーツをマイケルが着る予定だったと言う。
マイケルがステージに降りてくる予定だったとゴンガウェアは説明。
彼はそれを“ムーン・マン”と言ったが、オルテガは“ライト・マン”と言った。
パトナム弁護士はそのLEDスーツのアイデアのプレゼンテーションを提示。
それは初期に用意されたものでTIIのドキュメンタリーには収録されていない。

ステージの後ろの大きなスクリーンには3D映像が流すことが出来て
観客が会場に入るときにメガネを渡す予定だったと言った。
3Dを使う曲は“Thriller”と“Earth Song”だった。


オルテガはゴンガウェアに、マイケルがショーに大きな夢を抱いているという
メールを送っていた。
“彼は、これまでで最も大きな、一番のライブ・ショーをしたいと思っていました”
とゴンガウェアは言った。

パトナム弁護士は、振付師のトラヴィス・ペインとの契約を求める
オルテガからゴンガウェアへのメールを提示した。

ゴンガウェアからの返信:
これはAEGの持つ費用ではありません。
マイケルが持つ費用なので、承認を得るのに時間がかかります。

被告側は、マーレイ医師のように
費やされたすべての費用はAEGではなくマイケルが持つ費用だったというパターンを
確立させようとした。



ゴンガウェアはマイケルからマーレイという医師について聞かされたと言った。
“彼がやって来て、ツアーに同行する医師がほしいと言いました”

彼はマイケルに、緊急の時に
状況を理解しているロンドンで許可を受けている医師を求めるよう言った。

“これはマシーンなんだ。我々はマシーンの手入れをしなくてはいけない。
コンラッドが必要なんだ”
とマイケルが言ったと彼は言った。


パトナム弁護士:
ツアーに同行する医師がほしいと彼が言った時
あなたは驚きましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:
どうしてですか?

ゴンガウェア:
以前にも彼が医師を同行させたことがあったからです。



ゴンガウェアは、彼だけでなく他のアーティストも同様に医師を同行させていたので
驚かなかったと言った。


パトナム弁護士:
マイケルに健康的な問題があると心配しましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:
私には元気そうに見えました。
身体検査もパスしましたから。


ゴンンガウェアは、ロンドンの医師を提案したのは費用のせいだったと言った。
フルタイムの医師への支払は、地元も医師を雇うよりも費用がかかった。

マイケルがマシーンの手入れを求めたことについて
毎晩マイケルがパフォーマンスする準備をしなければならないということだと思ったと
ゴンガウェアは言った。

マーレイ医師は、2009年までの約3年間、マイケルの診察をしていた。
ラスベガスの医師だということをゴンガウェアは知っていたが
彼はロスの医師だと言ったという。


ゴンガウェアはマイケルに直接つながる電話番号を知らず
マイケルのアシスタントだったマイケル・アミール・ウィリアムスを通して
Michaelに連絡していた。

ゴンガウェアはマーレイに
マイケルが彼をロンドンに連れて行きたがってると電話で伝えた。
“それにいくらほしいですか?”
と彼は尋ねた。

マーレイ医師は彼の電話を予測していて
マイケルが自分をツアーに連れて行きたがっていることを知っていたと思ったと
ゴンガウェアは言った。

“彼は500万ドル必要だと言いました。
彼は4つのクリニックを閉めなければならない、従業員を解雇しなければならない、
そのために500万ドル必要だと”

“おかしな話でした”
と、ゴンガウェアは言った。
“そういうもののためとしても大きな金額でした。
マイケルはそれを用意できなかったのです”

彼は“それは無理でしょう”と答えたという。
これがマーレイ医師との初めての会話だったと彼は言った。

その後、ゴンガウェアは、医師が求めたもの
をランディ・フィリップスとマイケル・アミール、フランク・ディレオに話した。


パトナム弁護士:
マイケルがあなたに依頼しなくても、あなたはこれを引き受けましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。


パトナム弁護士:
医師をツアーに連れて行くと思っていましたか?

ゴンガウェア:
彼には必要ないと思いました。
HIStoryツアーにはいませんでしたから。
彼は元気でした。


ゴンガウェアは、ツアーに行くために医師の要求を伝えるために
マイケル・アミール・ウィリアムスに連絡をした。
“私たちはそれを用意できませんでした”と彼は言った。
フィリップスと話し、フランク・ディレオに電話をした。
マイケルのもとで仕事をしたがる多くの人たちは
彼が大金を持っていると思って多額の金を求めたとゴンガウェアは言った。


“彼はアイケルの医師でした。マイケルが彼を必要としたのです”
と、ゴンガウェアは言った。


パトナム弁護士:
医師の調査を考えましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。

パトナム弁護士:

どうしてですか?

ゴンガウェア:
彼はマイケルの医師でした。


“誰が彼の医師になるべきか、マイケルには言いませんでした”とゴンガウェアはは説明。

“医師は道徳的であってほしい。
彼らの生活の経済的な側面が彼らの医療上の判断に影響を与えてはいけません”
と彼は意見を言った。

ゴンガウェアは雇用した誰に対しても素行調査を行わなかったので
マーレイ医師にも行わなかった、例外ではないと言った。


マイケルについては、彼は素晴しく、再び鎮痛剤の摂取をしていたとは思わなかった、
マイケルは常に痩せていた、と言った。

“彼が医師を求めたことに特に驚かなかった”とゴンンガウェアは説明。



マイケル・アミール・ウィリアムスから医師に関する電話が来たという。
車の中で、“150で、150で”と言うマイケルの声が聴こえたと言った。
それは月15万ドルだと彼は理解。
ゴンガウェアがマーレイに伝えると
マーレイはそれではやれにないと答えたという。
マーレイに、その金額はアーティストから直接得たものだと言うと
マーレイは“受け入れます”と答えた。


マーレイ医師に、どのようにロンドンでの免許をとるか尋ねると
医師は心配しないよう彼に言った

ゴンガウェアは、最終的に彼自身の健康に責任を持つはマイケルだと言った。
“みんな自分自身の健康に責任があると思います”

“マイケルは、自分の健康管理や診療を決める能力のある一人の大人です”
と、ゴンガウェアは言った。



2009年4月13日、14日、15日、ノキア・シアターでダンサー・オーディションが行われた。
マイケルは最終日に訪れ、最終選考を行ったとゴンガウェアは言った。

パトナム弁護士はそのシーンの映像を流す。
マイケルは深く関わり、ダンサーを選出した、と彼は言った。

センター・ステージでリハーサルをしている時は
マイケルは元気で身を入れていたので
健康問題や薬物問題を抱えているとは思わなかったとゴンガウェアは言った。


リハーサル場所
3月28日~ センター・ステージング
5月27日~ フォーラム
6月23日~ ステープルス・センター
7月13日~ O2アリーナ



ゴンガウェアは、セキュリティに
マイケルをリハーサルに連れてくるよう話したことはないと言い
誰にもそういうことを言わなかったと言った。

パトナム弁護士はマイケルについてのイギリスのタブロイドの記事に関するメールを提示。
その中の1通に、マイケルがショーを半分に減らすようAEGに求めたと書いてあった。
ゴンガウェアは、そのような話は1度もないと言った。
ゴンガウェアはタブロイドを無視しようと思ったという。
素晴しいショーが答えになるでしょう、と言った。



パトナム弁護士は、11,000人になるであろう11人のダンサーと、
緑色のスクリーンの前にいるマイケルの映像を提示。
この時のマイケルは素晴らしかったとゴンガウェアは言った。

マイケルが“骸骨”に見えるシーンをカットするよう指示する
フィリップスがゴンガウェアに送ったメールに関しては
映画でカットしたものはないとゴンガウェアは言った。
パトナム弁護士は、マイケルが赤いジャケットを着てThrillerの3Dを制作している
TIIのシーンを流した。


パトナム弁護士:
マイケルがどう見えるのか、何らかの方法で手を加えようとしましたか?

ゴンガウェア:
いいえ。


マイケルの見え方のせいで、どのシーンがカットされたのか
彼は憶えていないと言った。
“私たちはただ、あるがままを映像にしました”



“Earth”のショート映画では、傾斜台からステージの中央にブルドーザーが現れた。
それは曲の最後に現れる予定だった。

“観客はそれに心を奪われたと思います”
Earth songで最後の植物を追いかける少女について、ゴンガウェアは語った。

ショーの最後は3Dのアニメーションだった。
飛行機がゆっくりと現れ、ドアが開き、マイケルが飛行機の中に入っていく。
飛行機のドアが閉まるとマイケルはエレベーターで下に降りて建物の外に出るが
飛行機は観客の頭上を飛んでいく。



彼はマーレイ医師とはキャロルウッドのマイケルの自宅で一度会い、
フォーラムでのリハーサル中に偶然会ったと言った。

ランディ・フィリップス、ケニー・オルテガ、マーレイ医師、マイケル、
フォンガウェア、ディレオがマイケルの栄養摂取について話し合うために
ミーティングが行われた。
マーレイ医師もマイケルも、マイケルが受けていた治療のことを話さなかったと
ゴンガウェアは言った。
ミーティングでは栄養摂取、ビタミン摂取、セラピーについて話し合われた。

マーレイ医師がマイケルにプロポフォールを投与していたとは思ってもおらず
麻酔薬のことを聞いたのはマイケルが亡くなった後だったとゴンガウェアは言った。

マーレイ医師は熱心にミーティングに参加し、とても賢い人で
マイケルを心からケアしたいと思っているように見えたという。
マイケルが不十分な扱いを受けている様子は見られなかったと彼は言った。
マイケルもミーティングに集中していて、そのミーティングに満足していたようだったと
ゴンガウェアは証言。

“彼は医師です。誰よりも患者の扱い方を知っていました”
とマーレイ医師について語った。



マーレイ医師に支払ったのはマイケルではなくAEG、というメールについては
間違いだと彼は言った。
“マイケルの費用を前払いしましたが、私たちは彼の給料は支払っていません”

ゴンガウェアはそのメールを書いたことも受け取ったことも憶えていないが
否定はしないと言った。

“マイケル・ジャクソンが彼の給料を払うはずだったが
その費用をAEGが前払いすることになっていました”
とゴンガウェアは証言。



マイケルがよく遅刻をしていたことについて
彼は彼自身のスケジュールで彼のやり方で仕事をしていたと言った。

マイケルは自分で選んだトレーナー(Louis Ferrigno)を雇っていたと思っていたと
ゴンガウェアは言った。

“私は彼(Ferrigno)と契約をしました。
彼はセッションごとに決まった金額の支払を受けていました”
と彼は証言。

パトナム弁護士は、トラヴィス・ペインからのメールを提示。
彼はマイケルの楽屋にマッサージ・チェアーを置くよう求めていた。


マイケルにはチーズバーガーが必要だというバグジーのメールについて
バグジーは冗談を言っていた、彼はとてもマイケルのことを心配していたと
ゴンガウェアは言った。


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今週はちょっとアップが遅れるかもです。




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彼だけは安らかでありますように









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Parisちゃん…

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日本でも朝にはニュースになってるかもだけど…
ゴシップならいいのだけど。




パリスちゃん、大丈夫でしょうかo(;△;)o






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水曜日の朝
リストカットをして病院に搬送されたと
メディアが伝えています。



デビーもそれを確認したと。








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“i wonder why tears are salty ?”
なんで涙ってしょっぱいのかな


ってつぶやいてたパリスちゃん…








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大丈夫だって伝えられているけど
その心が心配








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ダディ…( p_q)







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今はただただ
祈るばかりです








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【不法死亡訴訟】23日目:AEGライヴCEOの証言

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キャサリン・ジャクソンはオースティン・ブラウンと法廷に訪れる。
(この証言は火曜日のものです)




<証人:AEGライヴCEO ポール・ゴンガウェア>




【AEG側による反対尋問】



ステープルス・センターで行われていた最後の2回のリハーサルについて質問される。
最初のリハーサルの詳細は思い出せないとゴンガウェアは発言。
マイケルの体調は特に気にならなかったと言った。
マイケルは6月23日にリハーサルを行った。

6月24日のリハーサルで、ゴンガウェアは“Thriller”を見た。
衣装を着けての初めてのリハーサルだった。
“彼は元気でした”

6月25日、何か起きているからマイケルの自宅に行くようフランク・ディレオから連絡を受けた
ランディ・フィリップスから電話。
フィリップスがマイケルの自宅へ行くと、救急車が出発するところで
フィリップスは病院まで救急車について行ったとゴンガウェアは証言。

“何が起きているのかわかりませんでした”とゴンガウェアは言った。
しばらく何の知らせもなく、ゴンガウェアは何が起きているのかフィリップスに電話をした。
そしてマイケルが死亡したと聞かされたという。

“ショックでした。彼が死んでしまった。どうしてこんなことに!?、と”
何が原因でマイケルが死亡したのかまったくわからなかったとゴンガウェアは言った。

ステープルス・センターに行くと、陰鬱な空気に包まれていた。
ゴンガウェアは、制作をとりやめなければならなかったと言った。
その後、彼は追悼式に携わった。

なぜTIIがロンドンで行われることになったかということについては
それがマイケルの一番のマーケットだったからだとゴンガウェアは説明した。
パトナム弁護士にAEGがアメリカでのツアーを考えたか質問されると
子どもに対する主張が理由でそれは考えなかったと言った。


ゴンガウェア:
彼はほとんどツアーをしませんでした。
彼はツアーがあまり好きではなかったのだと思います。
それ以上にやらなくてはいけないことがたくさんありましたから。


マイケルは決して“meet and greet”をしなかったと彼は言った。


これが彼が行う最後のツアーだったから“This Is It”という言葉を
マイケルが思いついたとゴンガウェアは言った。
マイケルは50公演に同意したが、AEGはもっと公演をすることに興味を持っていたという。

ゴンガウェアは“Dangerous”ツアーはキャンセルが原因で損失を出したと言った。
また、“HIStory”ツアーでさえ危うく損益が出るところだったという。
マイケルはBadツアーも行ったが、ゴンガウェアはそれには関わっていなかった。
ショーで稼ぐことがマイケルが主に気にしていたことではないと彼は言った。


パトナム弁護士は、アーノルド・クライン医師と会った後
マイケルの様子がおかしかった日のことについて質問した。
ゴンガウェアは、マイケルは“完全にいつもと違っていた”と証言。


パトナム弁護士は尋問を終えた。





【ジャクソン家側の再直接尋問】


ブライアン・パニッシュ弁護士は、幹部社員はマイケルのことを心配していたか尋ねた。
“彼が健康であるよう心から望んでいました”

パニッシュ弁護士:
彼の子ども達や彼のご家族のことは?

ゴンガウェア:
思っていました。
マイケル・ジャクソンが中心でした。


“彼はよき父親だったと思います”とゴンガウェアは言った。


パニッシュ弁護士:
彼は彼の母親の素晴らしい息子だったと思いますか?

ゴンガウェア:
そうだったと思います。


パニッシュ弁護士は、キャサリン・ジャクソンにお悔やみの言葉を言ったか尋ねた。
ゴンガウェアは“いいえ”と答えた。

自身の宣誓供述書の証言の詳細を変えたことについて質問されると
ゴンガウェアは
“正直に証言したと思います。
自分の証言を実質的に変えたとは思いません”
と答えた。

ゴンガウェアはこの裁判で何度か取り上げられた彼が書いた問題のメールについて尋問された。
マーレイ医師のことについて、ゴンガウェアは
“私たちは彼に思い出させたい。
彼の給料を支払っているのはマイケルではなくAEGだと言うことを”
と書いた。

パニッシュ弁護士:
彼の給料をAEGが支払っているのはAEGだと書いた理由はわかりますか?

ゴンガウェア:
いいえ。
要するに、間違えたのです。
私たちは彼の給料を支払うつもりはありませんでした。
マイケルの指示でその金額を前払いしました


パニッシ弁護士は、ルー・フェリグノについてゴンガウェアに
彼はAEGの従業員だったのか尋ねた。
ゴンガウェアは“いいえ”と答えた。
ゴンガウェアは月曜日、フェリグノと契約をしたと証言した。
彼は、フェリグノは請負人だったと言った。
パニッシュ弁護士は、フェリグノと契約を結んだのか質問した。
ゴンガウェアは“わからない”と答えた。
フェリグノに報酬を支払ったのかわからないと彼が答えると
パニッシュ弁護士は“では、ルー・フェリグノに支払いをしなかったのですか?”と言った。
きのうゴンガウェアは、マイケルはトレーナーとトレーニングしていたので
彼の心配をしていなかったと証言した。
今日彼は、マイケルはルー・フェリグノとトレーニングをしていたと証言した。

ゴンガウェアは、フェリグノが請負人契約をしたのかどうか、
また、支払いを受けたのかわからないと言った。



パニッシュ弁護士は、マーレイの契約書を含んだ2009年6月16日のメールを見せ、
マーレイの契約書を受け取ったのか質問。
彼はたいてい契約書に目を通さないと言った。
マーレイへの支払は、あくまでもマイケルのローンの一部だとゴンガウェアは言った。


2009年6月6日に送られたティム・ウリィからのメールが陪審に提示された。
ゴンガウェアは、マーレイと契約をし2009年に契約書がメールで送られてきたが
初めて見たと証言した。
“彼はマイケル・ジャクソンのために働いていたのであって
私たちのために働いていたのではありません”



次にゴンガウェアはフィンケルシュタイン医師について尋ねた。
彼はゴンガウェアの25年来の友人である。
フィンケルシュタイン医師はこの裁判の証人候補で
Dangerousツアーの3rdレグに同行していた。

フィンケルシュタイン医師は今、薬物依存の治療のスペシャリストである。
“彼がマイケルの治療をしたと私に話したのは2回でしたが
デメロールや注射については何も言いませんでした”
とゴンガウェアは言った。

フィンケルシュタイン医師が、マイケルが処方薬依存に陥っていると思っていたと
彼に言っていたことを否定。
また、フィンケルシュタイン医師が、
もう一人の医師がマイケルにデメロールを投与していたと彼に話したことも否定。
フォーキャスト医師が、Dangerousツアー中にマイケルの治療をしていたという。



パニッシュ弁護士:
安全はAEGにとって最も重要なものですか?

ゴンガウェア:
安全はいつだって当然のものです。


ゴンガウェアはリハーサルで安全管理を任された人がいたのかわからないと言った。


パニッシュ弁護士は、ゴンガウェアに2012年12月に行った宣誓録取書をとる前に
メールの見直しをしなかった理由を尋ねた。
彼は自身の弁護士のアドバイスに従ったのだと言った。


パニッシュ弁護士:
これは根拠のない、たかりの裁判だと思いますか?

ゴンガウェア:
この裁判にメリットがあるとは思いません。

パニッシュ弁護士:
すべてをマイケルのせいにすることを
この裁判の質問書に書きましたよね?

ゴンガウェア:
憶えていません。

パニッシュ弁護士:
ミセス・ジャクソンがAEGから金をだまし取ろうとしているという書類に
サインをしましたか?

ゴンガウェア
憶えていません。



“子ども達は重大な損失を被ったと思います”
ゴンガウェアは父親を失った子ども達につて言及した。


ゴンガウェア:
彼はいつでも素晴らしかった。

パニッシュ弁護士:
バグジーがマイケルの体調が目の前で悪くなっていったと言っているのに?

ゴンガウェア:
私に目には異なって映りました。




TIIツアー同様、マイケルの追悼式のチケットの需要は膨大だったとゴンガウェアは言った。


パニッシュ弁護士はTIIツアーの延長について質問した。
インド、オーストラリアでマイケルのコンサートをすることを求める
プロモーターからのメールが提示された。
ゴンガウェアは、TIIツアーを続けることを望んでいたが
50公演しか同意を得られなかったと話した。


2009年3月18日-
マイケルがインドで公演を行うことについてのフィリップスの返信:
トーマス、ありがとうございます。
絶対にマイケルはあなたに向いてくるでしょう。

マイケルが“OK、やろう”と言った場合の計画を立てていたのだと思うと
ゴンガウェアは言った。


2009年3月17日-
フィリップスから:
私たちには、オーストラリアを含む4年の計画がある。
しかし、まずロンドンを終わらせなければならない。


2009年3月23日-
ゴンガウェアから秘書へ:
彼があまり働いていないように見える方法を見つけ出してください。



パニッシュ弁護士:
あなたの目標は出来る限りたくさんのショーをすることだったのですか?

ゴンガウェア:
そうしたいと思っていました。

パニッシュ弁護士:
より多くのショーをすれば、より多くAEGが利益を得られるのですよね?

ゴンガウェア:
はい。



証言台に立った後、フィリップスと話をしたかパニッシュ弁護士は尋ねた。
彼は裁判のことを話してはいないと言った。




【AEGによる再反対尋問】


パトナム弁護士は、宣誓証言で出来る限りの証言をしよう努力したかゴンガウェアに尋ねた。
ゴンガウェアは“はい”と答えた。

マイケルの家族にお悔やみのカードを送らなかった理由を質問されたゴンガウェアは
“私はカードは得意ではありません”
と答えた。
マイケルの死後、彼のことをたくさん考えたと彼は言った。

“そこで私は、追悼式を企画しようと思いました。
それが彼の人生を讃える、私の出来る限りのことだったのだと思います”

追悼式は15,000人の人々とともにステープルス・センターで行われ
5,000人の人々を収容したノキア・シアターでライブ映像が流された。
追悼式ではランディ・ジャクソンと直接関わったという。
100万ドルを越える費用は、MJエステートとAEGが負担した。



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今日はとてもショッキングな知らせから始まった一日でしたね。。
これに対してジャクソン側のケヴィン・ボイル弁護士は
“ジャクソン家とジャクソン側の弁護士は
この裁判に関してまったくパリスに圧力をかけていません”
と言い、プレッシャーを与えているのはAEGだと発言。


“父親を失ったことについて子どもに尋問することはたくさんのストレスを生むでしょう。
パリス・ジャクソンは、父親のことや、父親の死について事細かく質問され
とても張りつめた状況でした”

4月、この裁判が始まる前、
パリスちゃんとプリンスくんはそれぞれAEG側による尋問を受けています。

AEG側のパトナム弁護士は
パリスちゃんの宣誓録取書をとる際、厳しい態度をとったことは否定したものの
証人としてパリスちゃんを召喚しないということを明言するのを避けました。




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この日の裁判は
ランディ・フィリップスの証言へと続きます。







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【不法死亡訴訟】23日目:AEGライヴCEOの証言

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前記事からの続きとなります。



<証人:AEGライヴCEO ランディ・フィリプス>



【ジャクソン家側の直接尋問】


フィリップスは、2週間に渡り6~8回の証言のために6人の弁護士と会ったと言った。
山のようなメール(問題の期間の約30通)を調べ、自分の供述録取書も読んだという。
供述録取書では準備をしなかったと言った。


AEGライヴ最高経営責任者のランディ・フィリップスは
自身の弁護士が証言前に昔のメールを調べないようアドバイスしたと言った。

パニッシュ弁護士はフィリップスに、自分の口から話をしたいと思っていたか質問した。
“証人としてあなたが私を召喚したんでしょう。だからここにいるのです”
とフィリップスは言った。


パニッシュ弁護士:
AEGであなたより身分が上の人は誰ですか?

フィリップス:
AEGライヴにはいません。

パニッシュ弁護士:
あなたが最高権力者、というところでしょうか?

フィリップス:
はい。




パニッシュ弁護士は、彼に音楽産業に詳しいか尋ねた。
“音楽産業に詳しい?私はその業界で仕事をしていたのです”
とフィリップスは答えた。


パニッシュ弁護士:
この裁判は金をゆすりとるものだとお思いですか?

フィリップス:
イエスかノーで答えるんですよね?
イエス。

パニッシュ弁護士:
偽りの場合には偽証罪に問われることを承知の上で
ミセス・ジャクソンがAEGから金をゆすり取るために
ジョー・ジャクソンに手を貸しけしかけたという書類にサインをしたのですか?

フィリップス:
そうかもしれません。
憶えていません。


“根拠のないゆすりの裁判だと言わないでほしい”
とフィリップスは言った。


パニッッシュ弁護士:
あなたはこの裁判は金をゆすり取るものだと思っているのですね?

フィリップス:
はい。



パニッシュ弁護士:
あなたはオルテガに、AEGは、マーレイ医師を含む全員の調査したと言いましたね?

フィリップス:
私はケニー・オルテガへのメールに、マーレイ医師は調査を受けたと思うと書きました。

パニッシュ弁護士:
あなたは、彼は素晴らしい医師だと言いましたね?

フィリップス:
そう聞かされたからです。

パニッシュ弁護士:
あなたは、AEGは全員の調査をしたとメールに書きましたか?

フィリップス:
はい、書きました。

パニッシュ弁護士:
それは真実ではないです。

フィリップス:
記憶なので100%ではありません。


“それは当時私が知っていたことです”
とフィリップスは言った。



パニッシュ弁護士はAEGは利益を生むためのものだと彼が語っていた
Forbesの記事をフィリップスに見せた。

ライヴ・ネーションは世界で最も大きなコンサート・プロモーターだと
フィリップスは言った。

パニッシュ弁護士:
NO.2は好きですか?

フィリップス:
好きですよ!
成功しているNO.2の方がむしろいいです。


フィリップスは、アンシュッツが彼にNO.2に満足していると話したと言った。

2007年のツアーのやめにフィリップスがマイケルに会いたがったというのは本当か
パニッシュ弁護士はフィリップスに尋ねた。
フィリップスはその反対で、ミーティングを持ちかけられたのだと答えた。


パニッシュ弁護士:
バラックはコロニー・キャピタルの社長ですか?

フィリップス:
はい。


2008年6月13日、フィリップスはコロニー・キャピタルに
4年間のマイケルのためのプランの概略をメールしている。


パニッシュ弁護士:
ネバーランドは彼が愛した家でしたよね?

フィリップス:
マイケルが私に話したことを思うと答えるのは難しいです。



フィリップスが少し笑ったように見えた時
パニッシュ弁護士は訴訟手続がおかしいのか質問した。
“いいえ、悲劇だと思います”


トーメ・トーメはコロニー・キャピトルの仕事関係者だった。
トーメがコロニー・キャピトルとマイケルのもとで仕事をすることで
利益相反があったかどうか尋ねた。
彼は“いいえ”と言った。




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これはパリスちゃんが病院に運ばれる前日の審問です。



パリスちゃんの心が少しでも元気になることを祈りながら
これからもこの裁判を追っていきたいと思います。




$Michael Jackson を語らせて!
My prayers go out to him and his family...






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【不法死亡訴訟】24日目:AEGライヴCEOの証言

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ジャクソン側の弁護士が、キャサリン・ジャクソンの声明を読み上げた。

“敏感な15才というのは、誰でも難しい年頃です。
身近な人を失ったなら特に難しいです。
パリスの命に別状はなく、病院で適切な治療を受けています。
どうか、彼女と家族のプライバシーを尊重してください”


パトナム弁護士の声明。

“これが本当でないことを祈ります。
こういうことはあってはなりません。
彼女の早い回復と、彼女のご家族の幸せを願います。
心から彼女の無事を祈ります”






<証人:AEGライヴCEO ランディ・フィリップス>




【ジャクソン家側の直接尋問】



キャサリン・ジャクソンは法廷に訪れず。

ブライアン・パニッシュ弁護士は尋問を再開。
フィリップスの供述録取書での証言と証言台での証言が異なるものをいくつか挙げた。

パニッシュ弁護士はフィリップスに、どの答えが正しいのか尋ねた。
“真実がほしいのですか?
それとも私の証言したものがほしいのですか?”
と、フィリップスは言った。


パニッシュ弁護士は、AEGライヴ事業形態を知っているかフィリップスに尋ねた。
彼は、AEGライヴはAEGの傘下にあるが
正確に誰がAEGを所有しているのかわからないと言った。

パニッシュ弁護士は、マイケルのツアーについて
2009年5月26日に行われた役員会をについて言及。


法廷に、AEGがマーレイを雇ったと言っている
フィリップスのスカイ・ニュースのインタビューが流された。

フィリップスは、マイケルの死後いくつかのインタビューを受けたと言った。

フィリップスはインタビューはそれぞれ異なるが
AEGがマイケルに代わってマーレイ医師を雇ったと言ったつもりだと言った。
“それが真実と言われるものです”

ロス市警の刑事が、彼に関する警察の報告書の中で記載ミスをしていると
フィリップスは言った。
彼はロス市警に“マーレイ医師がランディに警告した”とは話していないと言った。

“警察のミスです。
彼は私の言葉を誤って捉え、間違ったことを記載しました”

マーレイ医師がオルテガに、素人の医師にならないよう忠告した、と警察に証言したと
フィリップスは言った。
“私は司法制度を信じていますので、ロス市警は素晴らしい組織だと信じています”


彼はロス市警のもうひとつのミスを指摘。
フィリップスとゴンガウェアがマイケルのツアーを制作したと言っているが
フィリップスは関わっていなかった。

マイケルがリハーサルに現れなかったことについては
“マイケルはリハーサルに来ていました。
十分ではない、というのはケニーの意見です”


彼はマーレイとの約25分間の電話を憶えていた。
弁護士がフィリップスの通話記録を召還したので
何回マーレイ医師に電話したのか知っているとフィリップスは言った。

フィリップスが憶えていた唯一の通話は
2009年6月20日のマーレイ医師からの電話だった。


供述録取書では、ポール・ゴンガウェアは
マーレイ医師に支払いをしているのはマイケルではなくAEGだというメールについて
彼に知らせなかったとフィリップスは言った。

フィリップスは。証言録取書をとったとき
初めてゴンガウェアのメールを見たと言った。

パニッシュ弁護士は、フランク・ディレオに転送されたそのメールを提示。
パニッシュ弁護士にも送られていた。

フィリップスは絶対にそのメールを受け取っていないと証言。
供述録取書でそのメールを見せられると、彼はそれを受け取ったか憶えていないと言った。

今日証言台で、フィリップスはゴンガウェアのメールを受け取ったと言った。
パニッシュ弁護士は3回答えを変えたと指摘、フィリップスに厳しく詰め寄った。

フィリップスは、ただし書きが異なるが、同じことを答えていると言った。

“率直に言うと、ポールのメールを読んだのを憶えていません。
ケニーのメールのことのほうを気にしていました”
とフィリップスは言った。


パニッシュ弁護士は、2009年6月17日付の
フィリップスからトーメに送られたメールを提示。
ケニー・オルテガ、ゴンガウェア、ディレオ、ヴェガスのコンラッドという彼の医師、
そして私はきのう、彼にリハーサルに来て集中するよう介入をしました。

“彼を完全に集中させることが難しく
最初の公演までたったの20日しかなく、それが最も差し迫った問題です”

フィリップスは、それは介入ではなくミーティングだと言った。



彼はトーメとビバリー・ヒルズでランチをしたと言った。
パニッシュ弁護士は、証言についてトーメと話をしたか尋ねた。
フィリップスは否定したが、パトナム弁護士もいたと話した。
彼らはMJエステートに対するトーメの裁判について話をしたのであって
この裁判について話したかは憶えていないと言った。


パニッシュ弁護士:
マーレイ医師が雇われたとき、
マイケルのパーソナル・パネージャーをしていた人は誰もいなかったというのは
真実ではないですね?

フィリップス:
その役割をしていた人がいました。
フランク・ディレオが彼のマネージャーだと理解していました。
私たちはマーレイ医師を雇っていません


AEGは、マイケルの指示で5万ドルをディレオに前払いしたとフィリップスは言った。




パニッシュ弁護士:
ショーのことをシャロン・オズボーンに話しましたか?

フィリップス:
いいえ。


フィリップスは、ロビーでシャロンに偶然会ったと言った。
シャロンに調子はどうかと尋ねられ、彼は厳しいが目的を達成すると言ったという。
シャロンとは偶然会ってあいさつをしただけで
チケットの売り上げや、マイケルに関することは何も話さなかったという。


販売されたTIIのチケットの93%は払い戻されたとフィリップスは言った。
“7~8%の人が、チケットを記念としてとっておくことを選びました”

7,500万ドルの売り上げのうち、AEGは500万ドル以上保持。
それはMJエステートに返還したとフィリップスは言った。



------------------------------------------------




ころころ変わる証言と
“記憶にございません”的な姿勢と。
何もかもMichaelの指示であり責任だという姿勢と。

AEG側の誠意のない(ように見える)証言に
陪審が呆れる様子も見えているそうです。




$Michael Jackson を語らせて!




子ども達のためだったTIIが
子ども達から父親を奪ってしまったという現実の重さ。

その重さから見ると
ビジネスってなんて軽々しいのだろう…って思う。





$Michael Jackson を語らせて!






この裁判が終ったら

Michaelと
Michaelの子ども達の居る場所には

せめて時間だけはやさしく流れてほしい






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【不法死亡訴訟】25日目:AEGライヴCEOの証言

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<証人:AEGライヴCEO ランディ・フィリップス>




【ジャクソン家側の直接尋問】



ジャクソン家からは誰も出席せず。


パニッシュ弁護士は、誰がフィリップスの通話記録の提出を求めたのか質問。
彼はロス市警だと認めた。

パニッシュ弁護士は、いくつかの通話をとりあげた。
2009年6月18日、ゴンガウェアがマーレイのすべての電話番号をメールした。


パニッシュ弁護士:
通常、あなたはアーティストのかかりつけ医のすべての連絡番号を持ち歩くのですか?

フィリップス:
とんでもない!


“私たちはアーティストの医師と契約しないことがほとんどです”
と、フィリップスは説明した。



続いてパニッシュ弁護士は、マイケルはステージに上がらずに帰ったという
バグジーからの“Trouble at the Front”という件名のメールについて言及。

“6月19日、眠る前にこのメールを読んだと思います”
と、フィリップスは言った。
パニッシュ弁護士は、供述録取書には朝読んだとあると指摘。

“私はあなたと言い争いたくありません。
これは陪審にとってフェアだとは思いません”
フィリップスは、短いやり取りの後パニッシュ弁護士に言った。

“聞き取りの後書類を渡され記憶を取り戻そうとしていたら記憶が蘇ってきたのです”
とフィリップスは言った。


パニッシュ弁護士:
6月20日、マイケルは問題を抱えていましたか?

フィリップス:
その通りです。


パニッシュ弁護士は、メールを受け取った後の自分の反応を憶えているか尋ねた。
“はい、憶えています。心配しました”
と彼は答えた。
パニッシュ弁護士は、そのメールを受け取った時どう反応したのか憶えていたないという
フィリップスの宣誓証言の映像を流した。




ティム・ライウィッキーは、当時フィリップスの上司だった。
6月19日の夜、バグジーのメールを受け取った19分以内に
フィリップスはそのメールに“大問題です”と付け加え転送した。
4分ほど後、ライウィッキーは
彼とマイケル、フィリップス、ケニー・オルテガでミーティングをすることを求める
メールを返信している。

フィリップスはそのメールをオルテガに転送し
ミーティングに参加するよう彼に求めたと言った。
翌朝オルテガはそれを了承する返信をしている。



ミーティングは6月20日に行われた。
バグジーはマイケルには精神科医とトレーナーが必要だとフィリップスに返信している。

“それは彼が書いたことで、彼が何を言っていたのかはっきりとはわかりません”
と、フィリップスは言った。

バグジーのメールについてパニッシュ弁護士は尋問。
“彼が言っていることはわかりましたが、何が起きていたのか
ミーティングが行われるまで知りませんでした”
とフィリップスは言った。


パニッシュ弁護士:
それは誰かの体調が悪化していることを指していたんですよね?

ゴンガウェア:
はい。問題があることを指していました。


“悪化ということではなかったかもしれません。
私はミーティングをするまで何が起きているのか知りませんでした”
とフィリップスは言った。


フィリップスはその後、
“残念ながら、私たちには時間がありません”と付け加え
ジョン・ブランカ、ジョエル・カッツ、ティム・ライウィッキーに
そのメールのやりとりを転送。


彼は他にも
マイケルは震えていて食べることができなかった、
オルテガが自分の食事を切り分けて彼に食べさせたという
バルジーから別のメールをフィリップスは受け取っている。

マイケルの何が問題なのか、
化学物質なのか生理的なものなのかはっきりわからないとメールにあったと彼は答えた。

パニッシュ弁護士は、フィリップスがしたこのメールについて
化学的なものとは何なのかわからなかった、ということから薬の影響の可能性まで、
フィリップスの提示した異なる5通りの説明について言及。



その後、オルテガが、心理学的な診断を受ける必要があると思うというメールを
フィリップスに送っている。

フィリップスはオルテガの言ったことに同意したと証言。
供述録取書では憶えていないと言っていた。

“マイケルの健康状態を私は任されていません。
彼は一人の大人であり、自分の医師がいたのですから”

バグジーとオルテガのメールを受け取った後
精神科医や心理学者に連絡をとることはなかったとフィリップスは証言。

また、彼がこの公演から手を引くと言ったことは一度もなく
マイケルがそれを恐れていたこともなかったと言った。

パニッシュ弁護士は、
マイケルの健康や医師のケアに疑問を持つのは彼の仕事ではないと
オルテガに話したことがあるのか尋ねた。
彼は“いいえ”と言った。




適切なセラピストやスピリチュアル・アドバイザーがいると
ブランカはフィリップスのメールに返信している。
メールにはその医師の名前が載っていなかったが
フィリップスがその名前を憶えていると証言。
フィリップスとパニッシュ弁護士が言い争いになると
陪審の中には頭をふる人もおり裁判官が介入。


パニッシュ弁護士:
ブランカはあなたにその精神科医が誰なのか話したのですか?

パニッシュ弁護士:
いいえ。

パニッシュ弁護士:
彼に名前を尋ねたのですか?

フィリップス:

いいえ。

パニッシュ弁護士:
何らかの対処をしましたか?

フィリップス:
20日のミーティングのみです。




マイケル・ケインはマイケルのビジネス・マーネージャーだった。
6月20日、彼はフィリップスに“これ以上悪くならないと思います”と返信。

これは
“もういかなる前金を支払うことも不可能です。
この時点で契約違反になるかもしれないと予想されます”
というフィリップスのメールに答えたものである。

“彼(ケイン)はマイケルの請求書のために100万ドルを支払うよう求めました”
とフィリップスは証言。


パニッシュ弁護士:
マイケルがリハーサルに来なかったことで
マイケルが契約を違反するだろうと予測したのですね?

フィリップス:
はい。


リハーサルをしなくてはいけないという契約はしないが
アーティストには完璧なショーをしてほしいとフィリップスは言った。
マイケルがリハーサルに来ないことでショーを完成させられなかったり
ロンドンでショーを始められなかったしたら契約の不履行になる、と言った。

“少々強く出ることも必要です。
彼がリハーサルに来なければケニーがショーを完成させることがでないということを
私は懸念していました”
とフィリップスは言った。

“マイケルにはその義務があったと思います”
と、マイケルがリハーサルに来る必要性について言及。
マイケルがリハーサルに行く必要がないと言ったら
彼は契約を破ることになる可能性ががあったのです、と彼は言った。

マイケルは既に契約を違反している可能性があったため
6月20日、マイケルにこれ以上前金を支払わないと言ったのだとフィリップスは証言。

また、“AEGライヴはショーが行われなくても生き残ったでしょう”と言い
フィリップスはAEGライヴの面目がつぶれる心配をしていたことを認めた。



マイケルには力のあるセラピストや
早急に体力をつけることが必要だというオルテガのメールについては
メールについて
“彼には両方必要だったと思います。
彼がセラピストのことを言っているのか精神科医のことを言っているのか
定かではありませんでした”


医師とのミーティングは
フランク・ディレオの要求で行われたとフィリップスは言った。


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証言は今後も続きます。



全体の流れがなかなかつかみきれないので何とも言えないのだけど
フィリップス氏の
“すべて人のせい&記憶にございません&思い出しました”
という姿勢は変わらないと思われます。
無数の矛盾を感じるわけですが。



また、パニッシュ弁護士がミスをした際
“ほら、誰だって間違いをするんですよ”
とフィリップスはすかさず突っ込んだとか。

パニッシュ弁護士が
“私は50も間違いをしませんよ”
と言い返すと
“どうだか。私はこの裁判をすべて見ていないですからね”
とフィリップス氏。

この二人は衝突することが多いみたいです(;´Д`)ノ
陪審も首を振るわけです。



いろいろな矛盾を感じつつ
来週もまた追って参りますね。






$Michael Jackson を語らせて!-attachment00.jpg
彼だけは安らかでありますように…





そう祈り続けて来ましたが
今はそういうわけにわいかないかもね。
Parisちゃんや子ども達を抱きしめにいってほしいです…





$Michael Jackson を語らせて!





裁判を追うことは
あの場所に戻ること

ただただ時間は決して巻き戻すことができないことを
あらためて思い知らされること













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HIStory

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マイケルはスタジオにいた私たちの何人かに
ある曲のために私たちの声を借りたいと言いました。

HIStoryの5分44秒頃、私が
“December 5, 1901, Walt Disney is born”
と言っています。

マイケルはステジオにいたほとんどの人たち(オペレーターや2ndエンジニア等)に
日付を読ませました。
アルバムHIStoryの最終的なオーバーダブとミキシングをしていた
シャーマン・オークスのレコード・ワン
マット・フォージャーがそのほとんどを録音しました。

よくディズニーランドに行ったことのことを話していたので
マイケルは私がディズニーのファンだということを知っていました。
だから、ディズニーの誕生日を割り当てられて嬉しかった。

それから、HIStoryの初期のイントロは全く違うものだったんです。


Brad Sundberg








このイントロのことはまだ内緒らしい^^;






Michael Jackson を語らせて!






こんなちょっとした話からも
人への心遣いを感じたり
曲へのこだわりを感じたり。







Michael Jackson を語らせて!







Happy Michael Monday!!


Every day create your history
Every path you take you're leaving your legacy

All nations sing
Let's harmonize all around...








Michael Jackson を語らせて!







この曲、すごく好き。
“How many ~”のところで何故かいつも泣きたくなって
“Every day ~”のところで何故かいつも励まされる。















今は同じ場所に眠っている
ウォルト・ディズニーの名前を曲に入れてたんだね。


$Michael Jackson を語らせて!







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【不法死亡訴訟】26日目:AEGライヴCEOの証言

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<証人:AEGライヴCEO ランディ・フィリップス>



【ジャクソン家側の直接尋問】



パニッシュ弁護士は、フィリップスは神経質だという
ティム・ライウィッキー(AEG最高経営責任者)からダン・ベッカーマン(AEF最高財務責任者/最高執行責任者)への
メールを提示。
“MJの問題”と6月20日にライウィッキーはベッカーマンにメールしている。
“大問題です”
ベッカーマンは“何か問題があるかもしれないと思いました”



マーレイ医師とフィリップスは25分間に渡り話をしたというが
何を話したのか憶えていないと言った。
フィリップスは“Trouble at the Front”という件名の一連のメールについて証言。
TIIの制作にあたり、関係者の電話番号のリストを作っていたが
どうやってマーレイの電話番号を手に入れたのかわからないと言った。

マーレイ医師は彼の自宅の電話に連絡してきたとフィリップスは証言。
医師がどうして電話番号を知っていたのかわからないと言った。
パニッシュ弁護士は、フィリップスがマーレイ医師に渡した、電話番号の入った名刺を提示。
名刺はマーレイの車の中で見つかった。


パニッシュ弁護士:
医師やショー・マネージャー、ディレクターは
あなたにマイケルの体調が悪化していると話しましたか?

フィリップス:
医師に何を話したのか憶えていません。


パニッシュ弁護士は、6月20日にフィリップスがオルテガに書いたメールについて話した。
“ケニー、これはあなたにも私にも、このショーに関わる者にも、重大なことです”
(素人の医師になるな、というメール)

“マイケルを想い、支え、7月13日のためにどのような準備をしたいと思っているのか
耳を傾けることは大切なことです。
あなたはこの公演をとりやめることによる影響や損害を想像できないのです。
7回裏でコールドゲームになるよりもはるかに重いです。
AEGの利益のことだけを言っているのではありません。
4時にフォーラムでマイケルとミーティングをします。
どうか落ち着いてください。”



フィリップスは彼が持っていたクリニックをもとにマーレイ医師が大成功していると思い
ツアーに同行するためにクリニックを閉めるのだと思ったとフィリッピスは言った。
それは自分が想定したものだったとフィリップスは認めた。
メールで“私たちはすべての人の調査をした”と書いたことについて
パニッシュ弁護士はそれが真実なのかそうではないのか尋ねた。


パニッシュ弁護士:
“私たちはすべての人調査した”というのは
あなたがオルテガにした虚偽の発言なのですね?

フィリップス:
イエス、だと思います。


パニッシュ弁護士は“彼にこの仕事は必要ない”と言ったことについて尋ねた。
“自分の情報をもとに私がした、これも想定でした”
とフィリップスは説明。

“彼が公平で道徳的ではない言う理由が私にはありませんでした”
とフィリップスは証言。
当時、自分が書いたことは真実だと思っていたが
発言の根拠がなかったことを認めた。
“ミーティングをする前に事態を落ち着かせたかっただけです”
とフィリップスは言った。

メンタルヘルスの専門家を依頼することについて
“誰も精神科医を連れて来ませんでした”とフィリップスは言った。
“マイケルには必要なかったからです。”

フィリップスは、オルテガとマーレイ医師から
マイケルに関して矛盾する情報を得ていたと証言。

パニッシュ弁護士は
まるっきり反対のメールをオルテガとAEG幹部に送っていたことを
フィリップスに詰め寄った。
“異なる目的で送ったメールだからです”
とフィリップスは説明。


6月20日の、少なくとも1時間続いたミーティングのことを憶えている
と彼は言った。
マーレイ医師とフィリップスは同じカウチに座り、
マイケルは長椅子、オルテガはもう一つのカウチに座っていた。
宣誓供述で、フィリップスは、
オルテガはマイケルの体調や精神状態について話していたと言っていた。
また、オルテガはミーティングでほとんど発言しなかったとフィリップスは証言。
“彼はマイケルにリハーサルに来るように言いました”
“彼はマイケルの体調や精神状態について話さなかったと思います”
と、フィリップスは証言した。

パニッシュ弁護士は、フィリップスの証言が変わることに詰め寄った。
“4年前の出来事をさらに思い出したのです”
とフィリップスは言った。
“そのミーティングの目的は
19日の出来事でマイケルに起きていることを知ることでした”
とフィリップスは言った。


パニッシュ弁護士:
オルテガは、マイケルは十分に眠っていないことが心配だと言いましたか?

フィリップス:
彼がその質問をしたのか憶えていません。


“彼が食事のことを質問したのは憶えていますが
睡眠について質問したかはわかりません”
とフィリップスは言った。
マイケルの睡眠不足は議題にならなかったとフィリップスは言ったが
そういうことがあったかもしれないと認めた。


パニッシュ弁護士:
マーレイ医師はオルテガがメールで言っていたことを否定したのですね?

フィリップス:
はい。


“マーレイ医師は、マイケルは何も問題ないと言いました”
とフィリップスは言った。
“マイケルはマイケル・ジャクソンは何も問題ないと言いました”
“精神的な問題があったのかはわかりません”
とフィリップスは言った。
“マーレイ医師は、マイケルは元気でリハーサルに行くとオルテガに言いました”


フィリップスにはマイケルのリハーサルに責任があるという
ティム・ウィリーの発言は誤りだと言った。


6月20日の午後にミーティングが行われたとフィリプスは言った。
パニッシュ弁護士は、ミーティングでマイケルが震えていたか質問した。
フィリップスは、まったくなかった、と言った。

ある制作会議で花瓶が割られたとフィリップスは言った。
フランク・ディレオ、ポール・ゴンガウェア、そして彼がいたという。
花瓶を割ったのが誰だかわからないが、フランク・ディレオかもしれないと思うと
フィリップスは言った。


パニッシュ弁護士:
マイケルから手を引き、彼が持っているすべてを奪うと
ミーティングで言ったことはありますか?

フィリップス:
いいえ。

パニッシュ弁護士:
この公演が実現しなかったら、子どもを含むすべてを失うことになるだろうと
マイケルに話しましたか?

フィリップス:
ばかばかしい。ノーです。


フィリップスは、マイケルは驚くほど素晴らしい父親だったと言った。
ホームレスになるとミーティングでマイケルに言った者はいないと否定。

パニッシュ弁護士:
あなたはマイケルに
彼のトイレットペーパーの支払いをしていると話したことはありますか?

フィリップス:
いいえ。


陪審に流された宣誓供述でティム・ライウィッキーは
メールの中の“神経過敏”というのはマイケルではなく
ランディ・フィリップスのことだったかもしれないと言っていた。
フィリップスが神経質だ彼に言わせたものが何だったのか憶えていないと話す
ダン・ベッカーマンの宣誓供述が流された。
“私は不安になってはいませんでしたが神経質になっていました”
とフィリップスは言った。


“マーレイ医師がケニーを戒めたとき、会議は少々白熱しました”
6月20日のミーティングで睡眠不足のことが話し合われたが
メインの議題ではなかったという。
前の晩に何が起きたのか、問題が何なのかを知るための、
また、マイケルがリハーサルを欠席することを話し合うためのミーティングだったという。
6月20日のミーティングの後の2つのリハーサルは最高だったとフィリップスは言った。
“ケニーはマイケルに、2日間休んで子ども達と過ごすよう言いました”
とフィリップスは証言。



2時24分、突然裁判官が審議の中断を決定。
陪審を法廷から退場させる。
裁判官はフィリップスが質問に答えないことを警告。

“ミスター・フィリップス、あなたは質問に答えなければなりません”
裁判官は言った。
“弁護士は答えを得ようとしているのですから”
弁護士と言い争うことは自分のためにならず、自身の証言を伸ばすだけだと言った。

裁判官は、フィリップスの証言が予想以上に長くかかっており
このペースだと、来週も証言台に立つことになると指摘。

フィリップスは裁判官に、間違ったことを言ったり、
巧妙な質問に引っ掛からないようにしているだけだと言った。

裁判官:
かなり率直な質問だと思いますが
情報を提供するのはあなたにとって得策ではないかもしれません。

パニッシュ弁護士は、今日は終わりにしたいと言い
裁判官や証人と言い争っていないと言った。


審議が再開した後、フィリップスはショーを取り巻く懸念について証言した。
彼はオルテガのことを懸念していたという。
“ケニーがあきらめたり、退いたりするんじゃないかと心配でした”



フィリップスが6月23日と24日のリハーサルについて質問される。


パニッシュ弁護士:
マイケルはショーを通してリハーサルしたことはなかったのですか?

フィリップス:
ありませんでした。

パニッシュ弁護士:
23日、マイケルは寒がっていましたか?

フィリップス:
憶えていません。


フィリップスは約3時間のリハーサルを見たと言った。
マイケルは1時間半~2時間リハーサルに参加した。
6月24日、マイケルが寒がっていたかどうかは憶えていないと言った。

パニッシュ弁護士:
マイケルが毛布にくるまって歩いているのをみたことはありましたか?

フィリップス:
あったかもしれません。
ステープルス・センターは寒かったですから。
でも憶えていません。


2009年6月25日12時54分(LA時間午前5時頃)
保険ブローカーがマーレイ医師にメールをしている。
マイケルの診療記録の提出についてのメールだった。
フィリップスは、マーレイ医師が2006年からマイケルの診療をしていたことを
メディアから聞いたと言った。



マイケルの死因を知って、コンラッドは無罪になるだろうと思います。
ライオネル・リッチーの元妻のブレンダがフィリップスに電話をし
マイケルはプロポフォールと他の薬物にの併用で死亡したと言った。
フィリップスは、その情報は信頼できないと思ったため
そのことをマーレイの弁護士にも検察にも警察にも話さなかったという。

パニッシュ弁護士:
マーレイ医師が無罪になることを望んでいたのですか?

フィリップス:
無実の人に有罪宣告をしてほしくないといつも思ってきました。


その情報がなんだったのか憶えていないと話すフィリップスの宣誓供述のビデオを
パニッシュ弁護士が流したが
フィリップスは記憶がよみがえったのだと言った。



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月曜日、パリスちゃんの一件後
午前中のみでしたが初めてママが法廷に姿を見せました。



彼だけは安らかに…




$Michael Jackson を語らせて!



今日もそう祈りながら。









$Michael Jackson を語らせて!-attachment00.jpg


4回目の命日まであと2週間。
みんなのあったかい愛が詰まったブランケットが
ほぼ完成しました。

縦120cm×横280cm

Michaelをすっぽり包んでくれることでしょう。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。








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